ステキな幼稚園

 

素敵な幼稚園に通っていた。お受験をして、芸能人とか会社経営者とかお金持ちの人とか家柄が良い人とか、そういう人の子供たちが通うキラキラした世界に通ってた。

 

 

みんな優しくて、私が泣くといつも慰めてくれて、私は人気者だった。みんな良い子だからお世話する相手が私しかいなくて、いつも私の周りにはお姉ちゃんもお兄ちゃんも友達もたくさんいた。

 

 

いつ頃だったか、私はあのピカピカの中で問題児だったんだなと気付いた。いつもお気に入りの先生の腕は私のものだったし、ままがお迎えにきたときに髪の毛を切っていたときには泣いて嫌がってしまったし、ホームルームのときも泣いたら廊下に出されていた。廊下には椅子と絵本がたくさんあるから、よく分からないまま大好きな本を読んで、泣き止むとまた部屋に呼んでもらえるんだけど。部屋を出される意味も戻される意味もまったく分からなかった私は、友達が先生に言われて廊下に呼びにきてくれても、「ううん(まだ本読む)」なんて言って断ったりしてるような子だった。ああ、やれやれ。なんもわかってないんだから。

 

 

分からないことが多いなりに、それでも大きくなってみて考えると、あんなに愛されていて私は幸せだったなと思う。こだわりが強くて、不安もいつもたくさんあって、気になることがいくつもあって、分からないことが多くて大変だったけど。それにしても、むしろ、なんであんなにお友達のみんなはいろいろ、全部わかっていたんだろ。すごいなぁ

 

 

はないちもんめで、ひとりになっちゃう子が可哀想で一緒になってあげようとしたんたけど、それがうまく自分で言えなかったことがあった。そしたら友達が「優しいね。ひとりがかわいそうだからでしょ」って言ってくれたんだけど、私はどうして一緒になってあげたかったのか、自分では分からなかったから「ううん」って言っちゃったの。いま思うとその子が説明してくれたことは正しいのにね。

 

 

お姫様が出てくる絵本をひらいて、いっせーのせで一番好きな女の子を選ぶ遊び、あれを私はなかなか選べなくて、だって、選んだあとに気持ちが変わることもあって、そしたらいま選んだことが嘘ってことになっちゃうかもしれないと思ったからなんだけど、そしたら友達が「選ぶのかわいそうってことだよね、選ばれない子がかわいそうだよね。うん、やめよう」って言ってその遊びはおしまいになった。すごい。私は自分の気持ちの変化がこわかったんだけど(確証がないこと、嘘になることがこわい)、まぁそれを読み取ることは難しいとしても、私が言い淀んでいるところをちゃんと解釈しようとしてくれるその子のかしこさよ。

 

 

そんなかしこいおともだちたちとお塾にも行っていたのだけども、私が泣いたり話を聞かなかったりするもんだから塾の先生は私のことをおそらくとても嫌いだった。そういうのってそのときは言語化できなかったけれど、塾で先生からいろいろ言われると悲しくて恥ずかしかったし、先生が私のことを嫌いなんて信じたくなかったけど、まあ私も先生のことを好きじゃなかった。私が色ぬりを失敗したもの(指定した色を忘れて塗ってしまった)をパッとみんなの前にかかげて「こうしちゃいけませんよ」と言ったり。そしてみんなにアドバイスをする。ほら、こうならないように、支持された色を蓋の方に出しておきましょうね。素直な友人たちはそれに従う。すばらしい、お塾の子供たち。あの子たちに比べたら、私は全然素直なんかじゃない。

 

 

私はその塾でカンニングをして何度も怒られたけれど、どうしてカンニングをしたかって、なんにもわからなかったからです。そういう、責められたとき、聞かれたときに説明出来なかったのは、文字は頭に浮かんでくるけど、言ってどうにかなるのか分からなくて不安だったから言えなかった。思うことはたくさんあるのにぐるぐるして言葉に出来なかった。

 

 

カンニングがいけないなんて一度も耳に入らなかったから、もっとちゃんと言ってくれれば私は頑張れたかもしれないのに、と思う。見ちゃいけないなんて耳に入らなかったし、なにをすれば良いのかいまいち分からないまま問題が配られたから、近くの人を見て真似するしかなかったんだよ。どうやったらあの頃の私を助けてやれたんだろう、でも私は助けてなんて思ったことなかった。助けを呼ぶことも知らなかったし、でも、恵まれていないわけでもなく、ただ分からないことが多くて不安だった。

 

 

かしこいおともだちたちに、もう会うことはないと思う。寂しくも。いまだにあの素敵な空間を思い出すと、嬉しくなったり胸が苦しくなったりする。あのころの私はなんて愛されていたんだろう、あのころの私はなんて幼かったんだろう。