思い切って納税した

 

 ただの市民税だ。ただの国民の義務だ。なので,まあ,なにが「思い切って」だ,と言われたらそれで終わってしまうけれども。

 

 正直,市民税のことはすっかり頭から抜けていたので,封筒が届いたときの衝撃ったら無かった。昨年はもちろんフルタイムで働いていたし,ボーナスももらっていたし,市民税は比較的高いところに済んでいたので,あらあら,今年もこれだけ納入しないといけないんですね,あらまあ,と思うような額面が送られてきた。

 

 仕事を退職して,引っ越した。引っ越しや初期費用は親が出してくれたので,ありがたく甘えた。

 

 家賃の問題はどうにかクリアした(弟と一緒に暮らし,家賃は折半として,以前親に返金していたニュージーランドぶんの留学費用を一旦返してもらい,一括で2月ぶんまでの家賃を入金した。)

 

 光熱費は母が払ってくれることになり,親から食料をたまに恵んでもらい,ドカンと請求された学費を払い,保険料は一括で払い,ようし,あとは贅沢をしなければなんとか暮らしていける,といった具合だった。後期の学費免除が通らなかったら困るなあとは思ったが(結果はまだ出ていないのでちょっとこわい)。

 

 そんなときに納税の知らせ。しまったああああ,これは盲点だった。納税せねばならぬのだ。こういうことをきっかけに,まあこれは蛇足だけれど,確定申告だの年末調整だのも含めて職場がやってくれてたことを改めて知ることになり,社会の仕組みについて詳しくなった。

 

 まあまあまあ。失業手当をもらって,1期と2期はそれを一気にそのまま納税した。(1期は納期を過ぎてしまいそうだったので,市役所に相談しに行ったが,まあ免除は難しく,いろいろ不安だったことを吐露して安心させてもらって,帰宅した。)

 で,3期と4期はそれぞれわけて納税しようと思って,3期を納入したんだが,やっぱり4期の納入が気になって気になったので,なけなしのお金で払ってしまった。

 

 いや,払ってしまったというか,払ってしかるべきなんですけども。

 

 はあ。これで一件落着です。あとは本当に,食費と,あと気になるのは学費であります。学費が免除されなかった場合,ちょっと頭を下げないといけないかなと思う。学費が免除されれば,少なくとも1月までは普通に暮らせる。おそらく。

 

 国民の義務よ。

 

脳とか心とかの病気

 

 私の友人や知人で,精神的な病気と診断されたひとは,思い出してみると結構いる。

中学校からの同級生,大学時代からの友人,後輩,職場の同僚。

 

 私は病院に行かなかったけれど,いろいろ読んだり聞いたりしていて,あのときもしも病院に行ったら,私も診断もらえたのではないかと思うことがある。

 

 辛い思いをしていた,いろいろ抱えていたけれど頑張ったね,と私自身をねぎらってあげたい感覚がある。

 

 あのころの自分を抱きしめてあげたいという感覚を持ったこともある。大学生のころ,中学校二年生の私を回想していて思った。ある程度成長して,落ち着いたら,そういうふうに思うものなのかもしれない。必死だった時期のことを。

 

 でも,社会人になってからの異常は,本当に異常であったと思う。もう済んでしまったことだけれど,たとえば私の大事な弟にはこんな思いをしてほしくないし,私自身ももうこんな思いしたくない,ちゃんと良い人生を選びたい。

 

 たとえば,なんでもないのに職場で涙が出て止まらなかった。

 車が行き交う交差点で轢かれたいと思った。

 死にたいと思った。

 

 いまの私はそんなこと思わないので。こういうふうに思うようになったら,かなり疲れているから,1日休もう。そう思えるようになったのは社会人4年目くらいかな。実際,そういうふうに思える余裕が出てきたのは良かった。

 

 車にとびこむことは無かった。目の前で大きな事故が起こって欲しい,と他人を犠牲にしようとしたこともあった。ひどい。そんなこと願うなら,休んだほうが良い。

 

 診断された友人は,何日も休んだけれどそれでも辛いようだった。なんとなく変だなと自分で気づけるうちに,1日休んだ方が良い。絶対に。

 

 必死に働いていた自分のこと,褒めてあげたいけれど,ああ。いまの私が声をかけてあげられたら。とも思う。

 

 そんなに頑張らなくて良いよ。

 

 私が退職したあと,私がすごかったこと,褒められていること,そういう話を聞くと嬉しい。いまでも慕ってくれる仲間がいること,嬉しい。

 

 でも,肌がぼろぼろで,家に帰るとぐったりしていた時期がある。なにも料理できなくて,無理やりシャワーをあびて,過食して,倒れるように眠っていた時期がある。洋服もジャージ以外ほとんどなにも持ってなくて。そういう時期のことを思い出すと,かわいそうになってくる。

 

 社会人3,4年目あたりから,お風呂に入れるようになった。肌荒れが良くなってきた。ああ,良かった。頑張った。

 

 

 

 でも,社会人1,2年目の写真を私は見れないのだ。だって,かわいそうな顔をしているから。

 

 ああ,あんな顔で,遊んでいた自分。いろいろ思う。仕事でいっぱいいっぱいなのに,気づかないように予定を詰め込んで,誘われるがままに遊んでた自分。

 

 私は 私は………  あのころよりは生きるのが上手になっていると思う。

 

 良かった,あのとき,手段もなにも考えていなかったけれど,死にたいっていう欲求のまま,死ぬように生きることにならなくて良かった。

 

 でもこれはもしかしたら,ものすごく運が良いことなのかもしれない。

 

 

この感情や感覚を覚えておこう

 

 例えば,この暮らしとか。

 いままで生きてきて,いまが最高級な暮らしをしていると思う。これはまた更新するつもりでいるけれど,しかし。

 念願の研究ができて,嫌いな人にはあわなくて良くて,疲れるような人間関係が選ばない自由があって,弟と暮らすことができて,目覚ましをかけたりかけなかったりする予定の余白があって,ご飯を選ぶ自由があって,トイレにもいつでもいける。幸せである。

 ちょっとだけお金の心配はあるけれど,でも精神的な豊かさがある。計算しながら贅沢はしすぎず,生活していくのは案外楽しい。そういえば,死にたい(どこかからか,なにかから逃げたい)と思わなくなった。

 

 最初はこういうことを書くつもりではなかったんだけれども,いまの感覚を大事にしたいなと思ったら,つらつら書けてしまった。

 

 なんとなく,上昇していきたいという気持ちの癖があって難しかったけれど,これからの人生は私がどれだけ幸せか,やりたいことができるか,なりたい自分でいられるか,だなあと思った。それは他者の目は関係ない,私の世界のことだ。これに気づくことはできていたけれど,なかなかそう思うこと,それが事実だとわかるまでには時間が必要だった。

 

 良い大学や良い大学院に入ったこと,それはひとつの大きな財産だと思う。良い出会い,豊かな経験ができた。でも,就職先は?「良い」の基準はひとそれぞれで,進学先よりも分かりにくい。多種多様。自分の感覚を大事に。癖に惑わされず。

 

 私はいまみたいな生活をずっとしたいと思う。今が幸せだと思う。その感覚に近い職場が良いのだと思う。

 

 どこになるかな。どこを選ぶかな。4月からの私の勤務先。

 

存在する理由としてのドリンクバー

 

 私は飲み物の中で水が一番好きだ。だから,ドリンクバーなんて友達とそこに長居するためにしか頼まない。いくらいろんなものが,いくらでも飲めたってそれはそんなに魅力的じゃない。

 

 でも,今日はファミレスにて,ひとりだけれどドリンクバーを頼んだ。いつもはなにか終わればたいてい家に帰りたい気持ちになるのだけれど,今日は外に長居したい気分だったので。

 

 ランチはある程度時間がたったら目の前から無くなってしまうけれど,ドリンクバーはなくならない。店員さんは私の前になにかあるかどうかなんて,そんなこと気にしないかもしれないけれど。目の前になにか食べたり飲んだりするべきものがあると,安心する。帰らなくて良い理由になる。

 

 家に帰宅する前に駄文をいくつか書いておきたかったので。

 

 先日,久しぶりに友人に会ったとき,また「本当によく覚えているね」と言われた。そうなのだ。私はよく記憶しているほうらしい。あるいは,相手,他者にとってどうでも良いことを私がよく覚えているのか。

 

 私は過去の記憶に苦しむことが多かった(今ももちろんあるけど)けれど,これって他人は割と忘れているのかな。だったら別に私も苦しみ続けなくても良いのでは。と思うことができるようになったのは割と最近。社会人になってから。

 

 なるべく記憶していることを,書き留めておこうと思う。そうはいっても,私も忘れてしまうから。例えば,これはちょっと極端な例だけれど,幼いころの言語化できなかった感情が,言えるようになったりするのはおもしろい。親と答え合わせのように語り合ったり。でもせっかくおもしろく思い出して語り合ったのに,でれがなんだったか,忘れてしまったりもする。

 

 デートしていたのに名前が思い出せないとか,今は全然会えないのにあのときは毎日のように会えていたとか,全部不思議なことに感じる。あのときはあれだけ苦しんでいたのに,いまはけろっとしているとか。

 

エッセイやなにかで自分の人生を書こうと思った人はすごい。書いても書いても足りない気がする。

 

 

外食が特別なものになった

 外食にかかる消費税が10%になったことと,私の生活が決して豊かなものではないことが関係しているけれど,これはこれで良いことだと思う。外食が特別なものになったこと。

 

 大学生や社会人のころ,外食三昧だった。あの頃は簡単に外食してた。ひとりでも,誰かと一緒でも。カフェも。(いま,カフェのフードやら期間限定のフラペチーノやらがほしくなっても,持ち帰る。だってほら,8%でしょう。)あの頃だって外食は楽しい,明るいものだったけれど,いまではそれに特別感があわさって,私にとって外食は豊かで幸せの象徴みたいな印象になった。

 

 家族とか,祖父母とか,友人とかと一緒にするあったかい特別なもの。

 

 先日,祖父母とお寿司を食べに行ったらそれがものすごくおいしくて,個室だったこともあってたくさん笑ってたくさん喋ってとても幸せな気持ちになった。おいしかった。あれからお寿司が食べたくなっても,スーパーのお寿司がどうしても美味しそうにみえなくて我慢している。

 

 そういえば,これは外食が特別になったことと,私の予定管理ができるようになったことの両方が関係していると思うのだけれど,最近の私は友人との食事を心待にする心の余裕ができた。

 

 予定が詰まりすぎてて,外食ばっかりで,予定帳をみてため息をついていたような私,ついでに肌荒れにも悩んでいた私。なんて贅沢で恵まれていて,でも不器用だったんだろう。

 

 さて。頼んでいたシェフサラダがきたのでここで一旦終わる。

 

 大好きなロイヤルホスト,月に一度の楽しみなランチ会場にて。

 

 

この気持ちはなんだろう

 

説明がつかないような心境を,昔は涙を流したり人にあたったりいろいろして考えることを避けていた。あるいはうまく消化していた。

 

 

今日は試験の日だった。昨日は親と言い合いをした。仲直りはできたと思う。今日,試験後,弟から「このときの試験に落ちてたよね」と言われたり「本当よく怒られるよね」と言われたりした。

 

 

書いていて,イライラしてたことに気付く。弟に対して,お前に何が分かる,と思ったんだ。だんだんと怒りに変わってきた。これは良くない。良くない。弟はまだ大人になりたてなんだから。弟を許そう。

 

 

誰かに甘えたい,という感情だったかもしれない。なかなか寝付けなかったのは。

 

 

誰にももう甘えられなくなってしまった。弟にも親にも甘えてたけど,もうそろそろ大人にならなければいけないときがきた。

 

 

兎にも角にも,お前に何が分かる,という感情は何も生まない。早く寝てしまおう。

 

 

足るを知れない

 

彼氏がほしい

遊びたい

旅行に行きたい

研究したい

ライブに行きたい

出会いたい

あの人と話したい

デートしたい

 

なんだって出来るはずなのに満たされない

 

原付かりてひとっ走りしてくるか