あなたたちが不倫をしたとしても

 

 

 

不倫。浮気。二股。恋人以外の人とのエッチ。

そういう話を聞くことがある。

 

というか,私の周りの友達はほとんど全員が経験しているように思う。どうしてだろう。そうだけれど,私はそういう経験はない。ないと思い込んでるだけかもしれないけれど,行動としては未遂なはずだ。気持ちの面ではあるかもしれないけれど実際の行動には残っていない。

 

この年齢,27歳くらいになると,そういう経験がないほうが少ないのかもしれないと思ってしまう。絶対内緒にしている人だっているだろうし。私も,もしそういうことになったら黙っておきたい。

 

もう少し若い頃はそういう話を聞くと,否定はせずとも,なんとなく距離をおくこともあった。特に自慢げに話すこ,あるいはなんの悪気も無さそうに自分に酔いながら話すようなことは,分かりやすく距離をおいた。ちょっと危ない人に見えて。その子の想像力が足りないような,人としての配慮がないような気がして。でも,最近聞いた話だとまあ不安定な状況でそうなってしまっていたり,久しぶりの恋だったり,それでもやめておいたほうが良いよとは思うし,親友の場合には私の意見も伝えるけれども,基本的には私は見守るしかないなーと思う。

 

いままではもう少し感情が動いていた。

軽蔑だったり,心配だったり,相手への怒りだとか。でも今は,自分と他者との境目が少しずつ分かってきたこともあって,心は波打っていないと思う。新しい冷静な私に気づく。

 

不倫をしたからといって,あなたのその全てを否定しない。私はあなたの良いところをみて,そこを持って関係を続ける。でもあなたがどうなるかは分からない。でもあなたがどうなったとしても,これからも友達としてよろしくと思ってる。

 

セフレ,への理解。そして二股と浮気への理解をこえて,不倫への理解まできてしまった。

高校生の私だったら考えられなかったことだな。

 

 

 

好きなもの(者)ができた

今週のお題「夏を振り返る」

 

この夏,ある芸人を好きになった。今日もその芸人のライブに行ってきた。

 

 

フェスやライブ,あとは美術館によく行くけれど,特定のものを目当てに行ったことは無かった。ふらっと気分で気になったものに行く。そういう程度。

 

 

でも,今回は違う。その人目当てに,チケットを購入して,その人目当てに前日の夜からワクワクして,おしゃれして向かう。当日は早めに到着して,近くのお店で時間潰して,開演にはあと30分あったけども入口をくぐった。

 

 

この建物のなかのどっかにいるんだろーなと思ったらドキドキした。ここでアルバイトでもしようかな。音響とかやりたいな。ああ。

 

 

で,観たら,ああ,こんなに近くで喋ってくれて嬉しい,おもしろい,かっこいい。でも1回目の失望感は無くて安心した。認知してくれないという辛さ。それは軽減されていた。

でも,でも,観ているあいだ,かわいくなりたいと願った。彼の目にとまるくらい,かわいかったり有名だったりしたい。私を知ってほしい。やっぱり,認知してほしい。

 

 

彼は仕事している。私も研究を頑張ろう。私も頑張って,チケット代は自分で稼いで,好きな限りはいつまでも観に行こう。

 

 

好きなものがあるって嬉しいなと思う。飽き性な私だけど,この感覚は良いな。好きなもののために頑張る。こうやって自分のために生きていきたいな。そういうきっかけやら諸々があって,改めて人生観も変わった。

 

 

いままでは,辛くても辛くても,私がやらなきゃっていう使命感のなかで仕事をし,仕事を探してた。でも,私がやらなきゃいけないなんて,そんなことそうそうないなと最近気付いた。私がやらなくても,だれかやるんだなーと。私で良かったことはもちろんあると自負してるけど,私が苦しみ続ける必要はないんだなと。だって,苦しまなくても出来る人がいる。そうであれば適任にやってもらったほうが良いんだ,と。あるいは,適任なんていない(みんながその仕事では苦しむ)としても,苦しいことを自ら引き受けなくても良いんだなと。今更ながら。仕事が全てだと思ってたけど,そうじゃないなと思った。仕事を全てにしようとして,自分を捧げようと思ってたけど,そうするべきだと思い込んでいたけど,そうじゃなかったみたい。

 

 

 

私は,私の選択で出来てるんだな,と思った。やらなきゃやらなきゃっていう使命感に押しつぶされそうになっていた。やらなきゃ,じゃなくて,私は私の人生を謳歌して良いんだね。誰かのために!って思いは,もう少し薄めても良いかもしれない。自分と他人への愛の配分を変えてみても良いかも。

 

 

 

 

強いて言うなら,私がやらなければ誰もやらないことは,私自身の研究くらいかな。これはすごく嬉しい気付きだった。頑張る。意味のあるものにできるように。

 

 

 

 

好きなことをしていこう。私が喜ぶ選択をしよう。それは私にしか出来ないことになる。この夏の気付き。

存在を認知すらしてくれない相手

 

自分の存在を認知すらしてくれない相手を好きって,どうすれば良いんだろう。ジャニーズとか,アニメのキャラとか好きな友達の話,あまり共感出来ないままに流していたけれど,いま,私もとある芸能人ってやつにはまってしまい,どういう心持ちでいれば良いのか不安である。

 

 

いま,好きな芸人がいる。7月あたりからずっと好き。たったの1ヶ月程度だけども。一度YouTubeごしに喋っている姿を観て,こういう感じ好きだなぁと思ったらそのままずぶずぶはまって,昨日ライブに行ったら,やっぱり,うわあ,好きだ!と思った。はしゃいだ。

 

 

舞台袖から出てきたとき,わ!!と体がのびた。やっと会えた!!というような,気付いて!!というような不思議な感覚。漫才中,彼と目があったような気がして,わ!!と嬉しさが溢れた。でもすぐに,次の瞬間に,はたと気付く。彼が私を私として認識してくれているわけではない。そもそも,私を見るわけがない。万が一,たまたまこちらを見ていたとしても,彼は私のことを知らないんだ。サクッと寂しさが胸を切ってくる。でも,興奮しているから気付かないふりができる。

 

 

 

 

それにしても芸人のみなさんが,あまりにも楽しそうだったので,ああ,私も漫才やりたいなと思った。人前で喋って笑わしたい。ずっと思ってきたようなことのように思えた。私の人生に相応しい行動。仕事にすると思えるほどの決意ではないけれど,とりあえず,やってみたいなと思った。そして,もちろん下心みたいなものもあった。漫才をやることで,彼に近付きたかった。出来ることならどうにかして彼に出会いたい。少しでも近くに行きたい。彼と同じ世界を観たい。

 

 

 

その夜,その勢いのままに,M-1の予選に応募しようと思い,締切まであと1日あることを知って,相方を探した。勢いで探し始めて気付いたのだけども,意外と,こんなギリギリの時期なのに相方探しをしている人はたくさんいた。そしてなんとなくそういう人たちともやりとりした。勢いってすごいよ。

 

 

しかし。

 

 

今日,相方の候補である何人かと会ったり,劇場に行ってまだプロでない芸人の人たちのネタを観たりした。でも,うーーーん,簡単に言うならば,私は出来る自信をなくしたので,誰とも組まずに帰宅した。キラキラした世界の前の世界みたいなものをみて,そこにいるたくさんの人たちをみた。そして,おそらく私が漫才を始めたら,私は漫才をここで出来るのだろうけど,そこはなんだか楽しそうではなかったのだ。夢が弾けたような感覚になった。当たり前だけど,努力が必要な場所だったなと思った。キラキラの世界にも,その前の世界にいるにも,努力は必要だった。当然のこと。楽しいだけじゃない。

 

 

 

 

学生お笑いとか,プロの舞台とか,そういうものとは違った息苦しさがあって,でも私はきっとここで始めなければいけない。出ている人たちが悪かったわけじゃなくて,それぞれにおもしろかったけども,なんなんだろうね。私がやりたいとまでは心が動かなかった。

 

 

 

 

昨日の夜,妄想や夢の勢いで突っ走っていれば相方を組んでいたのだろう。でも,そのときはとっても甘く考えていて,研究もどうにかなるだろう,私だったら大丈夫,いざとなれば全部出来る,そういう気持ちだった。良かった,その勢いのまま走ったらまずかった。研究も漫才もものすごく時間がかかることなのに。

 

 

 

 

そういうことに気付けたので,とりあえず行動してみて良かった。だって,行動しなかったらずっと事あるごとに挑戦したいなとか思ってみたり,やりたいことリストの中に入ったままだったりしたかもしれないから。

 

 

でも,そんな甘い世界じゃなかったなと思うと同時に,芸人の彼がすごく遠い存在だってやっと気付いてしまったもんだから,意気消沈して,その気持ちは失恋したみたいな感覚に似ていて,飲み会の約束も断って帰宅してしまった。この落ち込みを,一人で考えたかったから。

 

 

 

 

そして一番最初に記述した疑問に戻る。存在を認知すらしてくれない相手をものすごく欲しいと思ってしまうこの感覚,独り占めしたいとまで思うような乱暴な好意を,どう処理したら良いのか?

 

 

 

 

こんなこと思う自分が存在して良いのか。だって,向こうは私のことを知らないんだよ。滑稽だ。

 

 

 

とりあえす今の結論としては,彼と頑張る分野は違う,働く場所も,感覚も違うけれど,彼と同じくらい頑張るということでこの気持ちを昇華させることにした。彼も頑張っているのだから,私も頑張れる,という方向だ。彼が頑張ったくらい(それは計り知れないけれども),私が頑張ったら良い。世界は違えど,対等になれるのではないか,という考えだ。

 

 

 

脳内の彼が認めてくれる(彼は研究のことなんて分からないと思う)であろう研究をやり遂げよう。いつ会えても良いように,かわいく,きれいでいよう。恥ずかしくない私でいよう。

 

 

 

いまは,YouTube上の彼の断片をかき集めるようにして,好きだ好きだと思っているけれど,いつかこの感情もなくなるかもしれない。そうなるまでは思いっきり好きでいて良いし,ライブに行く。それで良いのではないか。そして,ちょっとだけ残った冷静な部分を書くと,いま,今のこの状態だからこそ,ここまで好きになったのだということは否めないと思う。

 

 

 

 

 

私が彼を好きだと思うことは,彼が私を助けてくれているということだ。いつかの私がこれをどう思うかは分からないけれど。

 

 

 

 

 

 

ここまで分析してやっと,私は彼を好きであることを許す。私のことを知らない相手に対して,勝手な苦しさを感じている自分,意味の分からない愛を持つ自分を,受け入れられそうだ。

ロイヤルホストにて

 

「あと1日しかな〜い。1日しかないよ〜。」と,こどもが言っていた。夏休みのことかもしれない。8月のことかもしれない。

 

 

なんにもしない日がある。なんにもできない日。8月に入ってグッと増えた。なんとなく,なんにもする気が起きなくて,でもやることは頭の中にあるから出来ないことにストレスが溜まる。そのストレスを発散する勢いを利用して,一気にタスクをガーッとこなす。

 

 

なんにもしない日があると,本当になんにもないままに次の日になるので,タイムスリップしたような感覚になる。死ぬのがこわいとか,意識がなくなるのを恐ろしく思う回数が増える。人生における余計な心配が増える。

 

 

少なくとも,弁明するのであれば,なんにもしない日は自分が充電できる。そのあと外に出て,人を見たり人がいた形跡を感じたりすると驚く。私が世界に一人だけ,私イコール世界,のような感覚になっていたことに気付く。こんなに人がいるんだなと思う。電車に乗ったり,ちょっと歩いたりするだけで未知のことがたくさんある。たくさんのことをした日やたくさんの人に会った日は,次の日の予定がないと安心する。人と会うのも好きだけれど,ひきこもるのも同じくらい好きだ。良いバランスでやっていきたい。

 

 

結婚とかこどもとか,そういうことは当たり前にするものだと思っていたけれど,そんなこともないなと思う。私は結婚しないのかもしれない。子どもを持たないかもしれない。でも,私の人生だからね。死ぬことを考える時間が増えて,そうだなーと思った。人と離れゆくことを思った。死ぬことの恐怖は消えないし,どうせ死ぬんだからと気楽に考えられない。でも,私が私として生きる人生が一回だけかもしれないなんて考えたくなかったけれど,どうやらそうかもしれないとは受け止めざるを得なくなった。

 

 

そこで,何か考えるときに,これは私の人生だからな,と思えるようになった。これが私の人生だなんて,分かっていたようで忘れていた。また誰かの目を気にしていた。これ,そうだ,私の人生だった。偉くなってくれよ,と言った校長のことも,いままでの生徒や保護者のことも,親のための世間体も本当は気にしなくて良いことだったんだな。

 

 

 

ファミレス

今週のお題「残暑を乗り切る」

 

 

昨年の夏。ファミレスのパフェの話になって,わたしがデニースが好きと話したら「セレブ」「ブルジョワ」と言われた。

 

 

私が社会人ということはあえて話さず,同期の大学院生たちと話していたら,やっぱりところどころボロが出た。上記の部分もその一部で,金銭感覚の違いというか,まあその子たちは「サイゼしか行かない」らしかった。タクシーも乗らないらしく,みんなで飲み明かして終電を逃したわたしがタクシーを拾おうとしていたら,ちょっとひかれた。みんなは友達の家で仮眠とるとか,漫画喫茶を探すとかして,それぞれ消えていった。

 

 

ああ,でも,そうだったかも。タクシーはもったいないという認識だったかも。私も,ただの学生の頃は終電を逃しては,タクシーの運転手さんに千円渡して,「これで行けるところまでお願いします」とか言っていた。嫌な客だ。

 

 

 

さて,これは昨年の回想で,今年の夏はどうだったかというと,痩せた。これだけ書くとやつれたのかと思われるかもしれないけど,私は毎年,夏休みにものすごく元気になる。今年の夏も元気だったけれど,生活が変わったのと,過食しなくなったのと,基本的には夜眠らず昼に起きるようになったのと,それが習慣化されちゃったおかげでこの夏はあんまり食べずに済んだのだ。でも,まあ例年よりは少なかったとは言え,研究のこととか公務員試験のこととかでストレスがかかって,その週はちょっと食欲が落ちた。そのおかげで痩せた。

 

 

公務員試験の結果が出た。落ちたせいで,昨日までは残暑を乗り切れる気がしなかったけど,今日,試験の結果を聞きにいったら,全然,性格のとこは点数高かったけどそれ以外はまあ半分より上くらい,てなもんで,ああなんだぁこんなもんだったか私,とわらけてきてしまった。逆に元気出た。わたしまだまだなんだなと思って,いままで自信持ってた自分がおかしくておもしろくなって,まあ次頑張りましょうか,という気持ちになった。

 

 

でも,最終試験までは残ったし,全部結果も聞けたんで,まあ良かったと思って切り替えて頑張りましょうか,みたいな気持ちになれた。公務員試験はコスパ悪い,だって一個一個が重くて,でも最後落とされたらなんにもならん,という腐った気持ちはなくなった。そもそも私,準備に時間かけれてなかったし……。見てもらえるのありがたいじゃん。テレビ局の就活なんて,ほとんど一発芸状態だったし。

 

 

ということで,残暑は,丁寧に乗り切る。研究と公務員試験の勉強を毎日,どっちがどういう配分とかはその日のテンションで決めて良いことにして,とりあえず合わせて6時間はやろう,という目標にすることにした。最初は8時間って思ってたけど,まずは達成しやすい時間数でいこ。これも無理だったら1時間ずつ下げてく。

 

 

家は,スイッチ入るときもあるけど入らないときもあるので,明日はファミレスでも行こうかな。最近お気に入りのロイヤルホストにて,ちょっとやりましょうか。残暑を乗り切るコツは楽しくやり過ぎずやっていくこと。

 

 

落ちていた(公務員試験)

 

2人の枠に入れず。落ちてしまった。

ここで改めて,私が何をしたいのか考えざるを得なくなってしまった。受かっていたら考えなくて済んだのにな。

 

地元の公務員試験を受けていたので,地元に本当に帰りたいのか?という疑問,考えないようにしていた疑問も頭をもたげてくる。

どうなんだろう。

 

ちゃんと生活したい。

研究したい。教育に関わっていたい。

生活するというのは,ちゃんと料理をしたり運動したりする時間があるということだ。研究を考える時間があるということ。

 

そういう思いが一番強い。地元に帰ろうと思ったのは,お金が貯まりやすいと思ったからだ。親が払ってる奨学金を引き受けなければ,親を少しでも安心させたい,そういう思いが無ければ別に地元に帰ろうとは思わなかった。

 

地元に戻ることには不安が無いと言えば嘘になる。だって,親との距離が近くなるし,親との関係性が悪くなるかもしれない。もともと仲は良いけれど,折り合いは悪いと思う。

 

内定している場所には職員寮があるので,お金は貯まりやすいだろう。職員寮に入れれば。

 

公務員以外,もう1つ受けてみるか。気になっている会社は地元のものではないけれど,1つ受けてみるか。

 

 

ストレスがぐぐぐと胸をつく,詰まる

 

12時間後には結果が出る。先日受けた試験の結果だ。

 

なんとなくそわそわして,たまらないような気持ちで今日1日を過ごした。気が緩むとなにかの感情が表に出てきそうで,ゲームしたり音楽をきいたりして抑えた。感情の名前は分からない。一瞬,さっきまた気を緩めたら,ゴーッと泣きそうになった。泣いたら楽になるんだろうか。でも,かっこ悪いから泣かない。泣き方が分からないから。

 

そして,食欲がない。例えば仕事をしていま頃みたいに,食欲でストレスを解消するような感じで,なにか過食したほうが眠れるんじゃないかとも思ったけど,今日はなにか食べたら吐きそうだった。水を一杯のんで,それでやめておいた。それでも油断したら出てきちゃいそうだった。

 

スマホゲームに夢中になったり,お気に入りの漫画を読んでみたり,YouTubeみたりしてみたけれど,気持ちに変化はなくて,ただただ重たいストレスを感じる。久しぶりのストレスだと思う。眠れば一番早く時間が過ぎるのは分かってる。結果を知りたいけれど,不安もあるし,知りたくない気持ちもある。落ちていたらどうしよう。という気持ち。

 

落ちていたら,私の自尊心が傷つく,だって自信があって見栄っ張りな私のことだから。周りになんて言おうか考えてしまう。受かったことにして,でも辞退することにしたというのはどうだろう。そして,母からのお言葉がこわい。多分,落ちたとしたら,母は最初は優しいけれど,なにかあったときには大爆発して,あんたなんか落ちて当然だよと私をなじると思う。それがこわい。恐ろしい。

 

研究活動については,今日はインタビューをして,書き起こしまで終わらせたけど,達成感はない。ああ,シンポジウムに向けて準備が出来ていないことが気になるけれど,今日のストレスはそれじゃない。

 

ただ,ただ,結果を待つことがこんなにこわいとは。入試の結果を待つことなんてたくさんあったはず,でも,こんなにストレスがかかったことあっただろうか。どうだっただろう。強気だった私が見当たらない。あんなに自信があった私がいない。誰かと話したい。こういうときに誰かに吐き出したい,誰かと頼りたい。でも,これを一人でちゃんと乗り越えるんだ。だってもう27歳だもん。もう大人になって7年目だもん。頑張れ,頑張れ。

 

 

 

 

果報を寝て待つ。