辛いカレー

 

国立のロジーナ茶房っていう良い雰囲気の喫茶店で,ご飯を食べることにした。

 

 

17:00まで軽食をやってくれているのはありがたい。16:30ごろ,遅めのお昼ご飯兼早めの夕ご飯。

 

 

ビーフストロガノフとカレーで迷って,辛いらしいけどカレーにした。「辛いですか?」「辛いです」と返されて,恐ろしく思ってビーフストロガノフを注文したけど,でもやっぱりカレーが気になりすぎて注文を変更した。

 

 

美味しいカレー。最初の一口で,あ,大丈夫かも。と思ったら,全然大丈夫じゃなくて,すっごく辛かった。でも美味しい。辛さがくる前に次の行動を起こせば良いのかなと思って,スプーンを急いで動かすけどそういう問題じゃなかった。ゆで卵を食べるとちょっとだけ落ち着く。でも,水もアイスティーも気休めにしかならない。

 

 

辛すぎて涙が出てきて,闘いのような気持ちでどんどんもぐもぐ食べていたら,いつのまにか完食していた。

 

 

涙やら汗やら鼻水やら,あらゆる体液が出てきていて,こっそりひっそり,はぁはぁ言いながら食べた。1人で来て良かった,1人で来るべき場所だ,ここは。

 

 

 

ストレス発散に辛いものを食べるのは良いらしい。たしかに食べているときは,ストレスがプチプチ弾けていた。不安に思ったり悩んだりしてる暇があったら準備しろ,そして,目の前のカレーを食べなさい。

 

 

くちびるがはれている。じんじんする。おいしかった余韻。薄暗い店内で,博識そうな女性たちが会話している。名字にこだわることは,昔のことになっていた。今の人たちだったらそのまま旧姓で活動しますでしょ,ととるに足らないことのようにサラッと話していた。頓着していないその様子。令和。

 

 

アイスティーをのんだら,友人のコンサートに向かう。

異性だ,と意識する

 

大学に引きこもっているとき。

ゴミを捨てに廊下に出たら,博士課程の彼とすれ違った。そうだ,ちょっと時間があったらコレを教えてください,と呼びとめたら,快く「良いよ」と言ってもらえた。

 

私がいた部屋は小さくない部屋だったけれど,彼が入ってきたら部屋が急に狭く感じて,ドキドキしてしまった。あれ?と思った。

 

あなたがこんなに近くに,といった気持ちだった。本当は私たちの距離はそんなに近くもなかったわけだけど。

急に自分の顔が気になった。かわいい顔してるかどうか,ファンデーションがよれてないか,汗のにおいがしないかどうか,気になって。

 

顔を手で隠しつつ喋ってた。

 

意識するとドキドキする。

 

 

お世辞でも,今度お祝いに飲みましょうって言われて嬉しかった。内定祝い。でも,私の勝負はもう少し続くから頑張る。

 

なぜ私は傷付いたのか

 

大学院の同期にツイッターで呟かれていた。ツイッターを見つけたのは偶然で、私たちはフォローフォロワー関係ってやつでも無かったし、私がみることを想定していないんだと思う。

 

 

 

読んだとき、怒りが湧いた。そしてその怒りの理由を探したときに、ああ傷付いたんだなあと思った。でも、言葉はたしかに酷いけど、どうして傷付いたのかは分からなくて1日かけて考えてた。研究の合間合間に。

 

 

 

私のことを「絶望」と表現していた。絶望、って言われちまったよ(笑)で流したいところだけど、胸のなかに嫌な感じでぐっさりと残った。

 

 

 

私のほうが、ストレートマスターで入学した同期たちよりも、当然年上だ。私は社会人を経験してから大学院生になった。学部を出て就職して、お金を貯めて、研究したいことを見つけたから、大学院に来た。

 

 

 

その年齢差もあるのに、これが分からないなんて絶望、というような表現をしていた。歳上のくせに、ということだ。いま書いていたら感情が震えたけれど、なぜなのか分からない。泣きそうなくらい腹が煮えたようだ。

 

 

 

お前に何が分かる、という感情か。

 

 

 

分かってほしいなんてもう思わない。そういう期待はしない。

 

 

 

私が、あなたに、はかられてたまるか。

 

 

 

前にもこういうことがあった。その同期に傷つけられた、と感じた。そのとき、同じことを思ったことを思い出した。

 

 

 

私があなたに、はかられてたまるか。

 

 

 

私は少なくとも、あなたのことを馬鹿にしたことはないよ。でも私も、私の軽率なひとことであなたを傷つけたこともあるんだろう。あるいは、私の相槌が単調だったりテキトーだったりして、相手にしたらなめやすいのも原因の1つだっただろう。

 

 

 

年下の同期たちと、壁なくやってきたつもりなんだけど。仕事の有無、年齢、学歴、交友関係、それらを通して彼らをはかったことなんてない。いま同じ場所にいて、研究を頑張る仲間。尊敬だってしていた。学部時代に研究したいと思えるものを見つけたんだな、と。私は卒業するときに、社会に出てそれをみつけようと思った。教育に興味があって、研究したい気持ちもあったけれど、まだ教育をずっと好きだと思えるような自信もなくて(熱しやすくて冷めやすいから。でも一番興味を長く持ってきたのが教育だった)、教育の現場でちゃんと見つけられたらまた戻ってこよう、と。研究への不安も働きたい気持ちもあった。若かった。だから、学部のときに気持ちを固めた彼らを尊敬する気持ちがあった。

 

 

 

でも、だからといって、彼らになめられるような人生を送ってきたつもりだってないのだ。尊敬しているからといって馬鹿にされたら嫌だし腹ただしいし。親しみやすいからといって馬鹿にしてはいけない。笑顔だからといって何も考えていないとは限らない。

 

 

 

あの子に馬鹿にされるような人生は送ってない。あなたに私は、はかれない。

 

 

 

私はあなたをはかろうとしたことなんて無いよ。

 

 

 

私は一人ひとりを尊重したいと思ってる。

 

 

 

私は私の大事なものを傷つけられるのが許せない。

 

 

 

私は、私のことも大事に思ってる。私自身の研究のことも。

 

 

 

同期とは研究発表会を計画していた。研究に意見をもらうことは大切だ。学部時代から意見交換は大切にしてきた。仲間たちと。教授と。出会った人たちと。

 

 

 

でも、あなたとはやりたくない。

 

 

 

なぜなら、あなたは尊敬する相手ではなくなったから。私はあなたに刺されたと思う。いままでも刺されてきたと思う。だから、研究発表会でも、あなたからの言葉に過剰に反応してしまうと思う。それは私にとっても健康的でないことだし、あなたにとっても良くないと思う。あなたに私の大事なものを渡したくない。信頼できない。

 

 

 

あなたはあなたの世界にそぐわない人を、ドカドカ殺そうとするもんね。

 

 

 

あなたはあなた自身が一番正しいと思っているもんね。

 

 

 

あなたは、なぜ人が離れていくのか分からない、と言っていた。友達がいないと。そして、なぜ馬鹿な人に意見をあわせないといけないのか、解説してあげなければいけないのか、と怒りをあらわにした。私はあなたに分かるように説明することは出来ないけれど、分かるよ。

 

 

 

あなたが正しい場面でも、あなたを正しいと思いたくなくなるような口調で人を責めることを、私は正しいと思えない。

 

 

 

書いていたら、いろいろ今までの関係や会話まで思い出して、混ざっちゃった。

 

 

 

なぜ傷付くのか。それは、私のことを思って言っている言葉ではないからです。愛がないからです。人として尊重されていないからです。大事だと思われていないからです。そういうことが伝わってきたから。

 

 

 

ツイートな日付を見たら、それは私への頼みごとをする前の日付だった。

このツイートのあと、私にあれを頼んでいたのか。私を馬鹿にするのもいい加減にしろよ。

 

 

 

でもおそらく彼には、私を馬鹿にしているという感覚はないのです。だって、彼は彼の世界の中でいつだって正しいことを選択し、言葉にしているからです。もう、そういう世界の中で生きていっていただければ良いです。

 

 

 

 

さようなら。楽しかった思い出だけを残す。

 

 

 

コンビニで1000円使う。毎日

 

 

仕事してた頃、コンビニで食べ物を1000円分くらい買って、それを全部食べれてたけど、いまはそれが難しい。胃がちっちゃくなったかな?と思っている。

 

 

仕事のあと、お菓子3〜4種類買って夕飯後に食べるのが普通だった。どれだけカロリーを摂取していたんだろうか。

 

 

1年目、2年目はそういうコンビニ食に加えてお酒やラーメンなどの付き合いも多かったので、お腹もポッコリしてたし肌も荒れてたし、顔も常にむくんだような感じで目もはれてるようで、写真をみると痛々しい。掃除や料理、洗濯などの家事も思うように出来ていなかったので、誰かが泊まりにくるとなると大掃除だった。いきなり泊めることになって、家の外で30分待たせたこともある。

 

 

3年目、4年目で少しずつ回復していって、お酒をあんまり飲まなくなり家事が出来るようになり、肌や体の調子が良くなり、ジムにも行くようになり、5年目は念願の大学院と仕事の両立ができた。

 

 

でも、食べる量は相変わらずの量だった。仕事辞めて、最近は減ったけど。

 

 

私の食べる量、すごかったよ。朝ごはんはテキトーで、食べたり食べなかったりだったけど、お昼ご飯は給食だからガッツリで、夕飯は基本的にコンビニ。サラダにはまってた時期もあったけど、「いつもの」パターンとしてはおにぎりかサンドイッチとポテトチップスとチョコレート系のお菓子、菓子パンを1000円ぶんくらい買う。毎回朝ごはんも含めたつもりで買うんだけど、毎回夕飯として結局全部食べちゃうの。

 

 

すごい量。でもそれだけ働いてたんだって思う。

 

 

この前、研究室でお昼ご飯食べよーと思って、生協でパン2つとスープを買ったのね。それを食べたらね、スープとパン1つでお腹いっぱいになったの。驚きよ。足りなかったらまた買いに来よー♩くらいの気持ちだったのに。

 

 

今日は久しぶりにコンビニに夕飯を買いに出かけて、からあげとおにぎりとアメリカンドッグとヨーグルト買って、るんるんで家に帰った。

 

 

アメリカンドッグとおにぎりとからあげ2個を食べた時点でだいぶお腹はいっぱいだったけど、からあげをどうしても全部食べたくて、残り2つのからあげを無理矢理お腹にいれたら、すっっごいお腹いっぱいになっちゃって、苦しくて後悔した。ヨーグルトは明日食べることになっちゃった。図らずも。

 

 

書くことで昇華して生きてた

 

苦しければ苦しいほど書けるのでは?

 

社会人の頃、あれだけ豊富にあった書きたいこと、それが脳に詰まって詰まって、書いては休み書いては休み、体力が追いつかず書けず、もどかしかったのに。今ではなんと脳みそがからっぽになっているようにすら感じる。

 

この学生生活、弟のいる家、自分で計画をたてる世界がなんと美しくしっかりしたものか。社会人をやって良かったことは生徒や保護者と出会えたこと、キャパが広がったこと、自分に自信がついたこと、意外と書いてみたらいろいろあるけれども、この生活は何にも代えがたい幸せな生活だ。

 

社会人になってからの学生生活だからこそ、これを感じられることも分かる。学びも研究も、計画性も。当たり前のことを当たり前にできるようになってからの学生生活だから、良かった。

 

社会人の頃の生活を文章化したい。いつか、いつかと思っていて今日になってしまった。毎日書けていたらどんなに素晴らしかったか、でも毎日書けていたらどんどん衰弱していたかもしれない。そういうことだ。毎日でいっぱいいっぱいだった。

 

鏡の中の私が良い顔をしていて嬉しいことがある。外出しなくても良いし、外出しても良いし、化粧や服装を考えても良いし、楽な格好でも良いし、すっぴんだってメガネだって良い。今はそういう生活、最初はこっちの世界に慣れるまで大変だった。早く働かなきゃ?とか、お金どうしよう?とか、生活の変化に不安になった。体が元の生活に戻りたがって不安になるのは当然のことだけれど、それは正しいときもあれば、それを乗り越えて正しい景色がみえる、そんな場合もある。私の場合は後者だった。

 

良かった。良かった。この景色がなんと美しいことか。

 

 

彼の死

 

 

教え子が死んだとき、ショックだったけれど、死んでしまったことは、忙しさに紛れていってしまうんだろうなということは感じてた。だって毎日がめまぐるしい現場にいたから。毎日どこかしらで事件があるよーな学校だから。ほんとにそうなった。もう1年くらい前のことだけど、いままで忙しさで蓋をしてたので、じわじわ蓋をずらしている。立ち止まって考えることが出来ない学校だったなと思う。それは良いことでもあり、もちろん悪いことでもあった。

 

 

 

学校関連の事故で教え子が死んで、保護者への説明会を開いて、私は教員側として後ろで聞いていたけれど、学校側の発言にも保護者への対応にも全然納得できなかった。違和感も悲しさも怒りも不甲斐なさも、いろいろ、ごちゃごちゃしてて、私の中にもいっぱい言いたいことがあるような気がしてた。

 

 

死んでしまった彼は、悪いことをしてしまうことがあった。その悪いことの頻度は、人よりも多くて、しかもばれやすかった。保護者は、彼について、もうどうしようもないって苦しんでた。うちに何とかして欲しいとすがりつくようだった。

 

 

 

だから、亡くなったとき、もしかしたら、母親は、ほっとしたのかもしれないと思った。名誉の死とまで思うんじゃないか。部活の強化練習中の死なんて。そして、これでやっと手が離れる。もしかしたら、そう思ったんじゃないか。

 

 

 

その一方で、この事件で、学校が許されるなんてことあるのか?と思った。息子が死んで、それでも原因となった学校を恨まないなんてこと、あるのか?

 

 

 

実際、母親は、どうしようもない息子を見放さずに寄り添ってくださった先生方への感謝と、息子が戻ってこない、成長を見ることが出来ない悲しみを持っているとのことだった。先生方はどうぞ、生きている子どもへ目を向けてくださいとのことだった。それがあの子への供養になります、と。

 

 

 

お母様はそう言っていた、けど、でも、私は、ある先生たちのことを、ヒト殺し、と思うことを止められなかった。

 

 

 

 

そして、私もヒト殺しになる可能性があるんだってことを思った。権力とか威圧感とか力関係とか、生徒に対してそういうものが身についてきた感覚があったからゾッとした。そういうものの先の先の先に生徒の死があるのだと感じる事故だったから。

 

 

 

 

職員室で、やっと、やっと、職員会議が開かれたとき、責任を言及する発言があって、そのとき、責任を感じてる先生、その生徒に直接声をかけた先生が泣いた。

 

 

 

 

職員会議が終わったあと、校長がその先生の肩をしっかり抱いて励ましていた。

 

 

 

 

違和感があった。違和感というか怒りに近い感情だった。生徒が亡くなったんですが、と思った。その励ましをする必要がありますか????

 

 

 

お葬式にはたくさんの彼への食べ物が置かれて、ユニフォームが飾られていて、でも、そんなもの、しらじらしいと思った。もう死んじゃってからそんなにキラキラにされてもな、と思った。

 

 

 

 

私たち教員は彼がより良く生きるために全力を尽くしたから、良い、良いなんて誰も言わないけど、そういう感じ。そういう感じ、だよね。だって私たち、いつも一生懸命だもんね。だから許されるんだよね。

 

 

 

 

ねえ。そうなのかなあ。頑張ったから良いのかなあ。ほんとに、すっごい頑張ったから。悪いことを繰り返す彼をなおそうとしてたから。向き合ってたから。

 

 

 

でも、なおそうとしてなおそうとして、そのいっかんのなかでじこがあって、かれはなくなったんだけど、それについて、いみなかったなんていいたくないから。考える。

 

 

 

物語なら意味や流れや目的や因果関係なんかがあるのに。意味や救いを見出そうとして、それが無理なことに気付いて絶望して。しょうがなくないのにしょうがないってことにしてる。しょうがないなんて言葉は使わないけど。救いや意味のない事故があることを受け止められなくて、難しくて、私はここから助けてくれと願う。

 

 

 

 

亡くなった彼を学校内で感じる、って話題になったことがある。電球がわれたことがある。電気が消えなくなったことがある。いないはずの場所で、人の気配や音がする。

 

 

 

 

それを同僚から聞いたとき、うまくいえないけど、随分、あっさりと受け止めているんだなと思った。彼が死んだことを。そんな、そういう風にはなせるような、ポップな感じにして良いの???もう???おもしろい話として搾取して良いの?

 

 

 

わたしには分からなかった。彼の未来のために一生懸命にみんな教育してたとか、彼のお母さんは私たちに感謝してるとか、そういうの、そういうの、そういうの、もういいよ。

 

 

 

亡くなった祖父は私たちを見守ってくれていると思う。そういう感覚があって、実際にそういう世界があってほしい。消えてしまうだけなんてことあまりにも悲しいし、そんなわけがない。

 

 

 

 

でも、亡くなった彼については何も想像できない。この世界が彼にとってもっと良いものだったなら良かったのに。あるのは死んだという事実だけで、ぽっかりしている。

 

母親に年をとらないでほしい

 

母親が誕生日だった。

 

一緒にお菓子を食べてお祝いしたけれど、今日は私にとって重要な試験があったせいでなんだか慌ただしく過ぎてしまった。

 

最近の母親は人間ドックに行って、乳房検査なるものをしたそうだ。万歳したとき、のび〜となってあくびがでたらしい。上半身はだかなのに、そんなあくびが出ちゃうくらいゆるむなんて、慣れたのかな、おばちゃんになったってことだよねと笑っていた。

 

なんかの感情がわいたけれど、うまく言葉が出てこなくて、そんなことに慣れないでよぅと返すだけだったけど、その感情がなんだったのか、上京する電車のなかで考えていたら涙が出てきた。

 

 

お母さんがおばあちゃんになっていってしまうのが寂しい。こわい。その先を勝手に考えてしまって、お母さんがゆっくり年を重ねていくのが寂しくて、ぽろぽろ涙が出てくる。お母さんが年をとらないで、しかも、幸せで安心で楽しいことばっかりになれば良いのに。それで幸せに長生きしてほしい。

 

 

この気持ちをお母さんに吐露したら、かってにしなさないで、と笑うだろう。長生きするよ、と言ってくれるだろう。

 

 

誕生日前夜、生まれてきてくれて良かったなぁと言われた。私について。どうしたの急に、と返して、私はそれ以上なにも言えなかったけれど、私も、お母さんの娘として生まれてこれて良かったよ。

 

 

 

ずっと一緒にいられる保証があれば良いのに。