存在を認知すらしてくれない相手

 

自分の存在を認知すらしてくれない相手を好きって,どうすれば良いんだろう。ジャニーズとか,アニメのキャラとか好きな友達の話,あまり共感出来ないままに流していたけれど,いま,私もとある芸能人ってやつにはまってしまい,どういう心持ちでいれば良いのか不安である。

 

 

いま,好きな芸人がいる。7月あたりからずっと好き。たったの1ヶ月程度だけども。一度YouTubeごしに喋っている姿を観て,こういう感じ好きだなぁと思ったらそのままずぶずぶはまって,昨日ライブに行ったら,やっぱり,うわあ,好きだ!と思った。はしゃいだ。

 

 

舞台袖から出てきたとき,わ!!と体がのびた。やっと会えた!!というような,気付いて!!というような不思議な感覚。漫才中,彼と目があったような気がして,わ!!と嬉しさが溢れた。でもすぐに,次の瞬間に,はたと気付く。彼が私を私として認識してくれているわけではない。そもそも,私を見るわけがない。万が一,たまたまこちらを見ていたとしても,彼は私のことを知らないんだ。サクッと寂しさが胸を切ってくる。でも,興奮しているから気付かないふりができる。

 

 

 

 

それにしても芸人のみなさんが,あまりにも楽しそうだったので,ああ,私も漫才やりたいなと思った。人前で喋って笑わしたい。ずっと思ってきたようなことのように思えた。私の人生に相応しい行動。仕事にすると思えるほどの決意ではないけれど,とりあえず,やってみたいなと思った。そして,もちろん下心みたいなものもあった。漫才をやることで,彼に近付きたかった。出来ることならどうにかして彼に出会いたい。少しでも近くに行きたい。彼と同じ世界を観たい。

 

 

 

その夜,その勢いのままに,M-1の予選に応募しようと思い,締切まであと1日あることを知って,相方を探した。勢いで探し始めて気付いたのだけども,意外と,こんなギリギリの時期なのに相方探しをしている人はたくさんいた。そしてなんとなくそういう人たちともやりとりした。勢いってすごいよ。

 

 

しかし。

 

 

今日,相方の候補である何人かと会ったり,劇場に行ってまだプロでない芸人の人たちのネタを観たりした。でも,うーーーん,簡単に言うならば,私は出来る自信をなくしたので,誰とも組まずに帰宅した。キラキラした世界の前の世界みたいなものをみて,そこにいるたくさんの人たちをみた。そして,おそらく私が漫才を始めたら,私は漫才をここで出来るのだろうけど,そこはなんだか楽しそうではなかったのだ。夢が弾けたような感覚になった。当たり前だけど,努力が必要な場所だったなと思った。キラキラの世界にも,その前の世界にいるにも,努力は必要だった。当然のこと。楽しいだけじゃない。

 

 

 

 

学生お笑いとか,プロの舞台とか,そういうものとは違った息苦しさがあって,でも私はきっとここで始めなければいけない。出ている人たちが悪かったわけじゃなくて,それぞれにおもしろかったけども,なんなんだろうね。私がやりたいとまでは心が動かなかった。

 

 

 

 

昨日の夜,妄想や夢の勢いで突っ走っていれば相方を組んでいたのだろう。でも,そのときはとっても甘く考えていて,研究もどうにかなるだろう,私だったら大丈夫,いざとなれば全部出来る,そういう気持ちだった。良かった,その勢いのまま走ったらまずかった。研究も漫才もものすごく時間がかかることなのに。

 

 

 

 

そういうことに気付けたので,とりあえず行動してみて良かった。だって,行動しなかったらずっと事あるごとに挑戦したいなとか思ってみたり,やりたいことリストの中に入ったままだったりしたかもしれないから。

 

 

でも,そんな甘い世界じゃなかったなと思うと同時に,芸人の彼がすごく遠い存在だってやっと気付いてしまったもんだから,意気消沈して,その気持ちは失恋したみたいな感覚に似ていて,飲み会の約束も断って帰宅してしまった。この落ち込みを,一人で考えたかったから。

 

 

 

 

そして一番最初に記述した疑問に戻る。存在を認知すらしてくれない相手をものすごく欲しいと思ってしまうこの感覚,独り占めしたいとまで思うような乱暴な好意を,どう処理したら良いのか?

 

 

 

 

こんなこと思う自分が存在して良いのか。だって,向こうは私のことを知らないんだよ。滑稽だ。

 

 

 

とりあえす今の結論としては,彼と頑張る分野は違う,働く場所も,感覚も違うけれど,彼と同じくらい頑張るということでこの気持ちを昇華させることにした。彼も頑張っているのだから,私も頑張れる,という方向だ。彼が頑張ったくらい(それは計り知れないけれども),私が頑張ったら良い。世界は違えど,対等になれるのではないか,という考えだ。

 

 

 

脳内の彼が認めてくれる(彼は研究のことなんて分からないと思う)であろう研究をやり遂げよう。いつ会えても良いように,かわいく,きれいでいよう。恥ずかしくない私でいよう。

 

 

 

いまは,YouTube上の彼の断片をかき集めるようにして,好きだ好きだと思っているけれど,いつかこの感情もなくなるかもしれない。そうなるまでは思いっきり好きでいて良いし,ライブに行く。それで良いのではないか。そして,ちょっとだけ残った冷静な部分を書くと,いま,今のこの状態だからこそ,ここまで好きになったのだということは否めないと思う。

 

 

 

 

 

私が彼を好きだと思うことは,彼が私を助けてくれているということだ。いつかの私がこれをどう思うかは分からないけれど。

 

 

 

 

 

 

ここまで分析してやっと,私は彼を好きであることを許す。私のことを知らない相手に対して,勝手な苦しさを感じている自分,意味の分からない愛を持つ自分を,受け入れられそうだ。