鬼がきた

 

 

母がどんどん機嫌を悪くしていく。うまくいかないことがあるとそれが引き金となって、どんどんどんどん…鬼になる。

 

 

わたしは鬼からの言葉に殴られているような感覚を持つ。殴られているというよりも、もっと違う感覚なんだけどわたしはこれを表現する日本語を知らない。今日はお風呂で、扉越しにごちゃごちゃくどくどいろいろ言われたもんだから、1回耳だけお風呂に潜らせて全部シャットアウトしてやった。たしかにわたしにも悪い部分はあるかもしれないが、なんていうか、言われすぎだろう。ちょっとだけ耳を出したらちょうど質問されていた。危なかった。ウーーンと唸って返した。本当は、ウワーーと叫んでお風呂場をめちゃくちゃにたたいて、お湯をまき散らして何かを壊したかった。そういうイメージはもう出来ていたけど、太ももに爪をたてるくらいでやめておいた。怒鳴るならお湯の中でやろう、とも思った。なんとなく冷静な自分がいて安心した。ここまで言われなくても良いよね、大丈夫大丈夫、これは聞かなくて大丈夫。

 

 

いままでは言われ過ぎていたとしても分からなくて、ただただ苦しんでいたけど、今日はなんとなく、わたし、ここまで言われなくても良いんじゃないかなーと思った。あなたは良いねえ、かわいいからそういう性格でも許されてきたのでは?と思ったり。わたしも幼い頃、出来ないことがあって不機嫌になってたけど、それって母譲りだったのか。

 

 

鬼のくどくど言ってくるのはずーっと止まらなくて、だんだんわたしの脳内もおかしくなるのが分かった。友人の子供の性格の良さを褒めたときには(これもう100回目くらい)もうそいつを殺してやろーかと思ったり、わたしの教え子の癌の転移の話になったり、そうなってきたら、わたしはもう逃げたい逃げたい、死にたい死にたい死にたいって危ない願望が頭をもたげたもんだから、あ、危ないなと思って脳内のスイッチを切った。

 

 

わたしは鬼からの声かけで死にたくなるのだ。

 

 

やっぱり一緒に住まないほうがうまくいく関係性だってある。わたしは母は好きだけど、鬼のことは本当に苦手だ。たぶん仕事が大変なときに鬼に遭遇したら、冷静な判断ができないだろうと思う。わめきちらすかもしれない。忘れていたわたしの中の虎が起きるかもしれない。

 

 

高校時代から分かってたことじゃないか。わたしは今の家族と一緒に住むのは難しい。長期休暇に会ったり、連休に会ったりすれば良いじゃないか。まずは職員として稼いで、お金を返したあとは自由だ。例えば、うん。大阪に行ったって良いじゃないか。

 

 

 

お仕事

 

 

それは仕事なのだから当たり前なのかもしれないけれども,ずっと認められなかったことがある。

 

仕事は大変なことも辛いこともあった。それはそうだし,それだけども頑張った自分を褒めて,誇りに思っている。

 

でも,これ,酷いことだけれども。でもね。

 

私は,生徒の話をつまんないなぁと思いながら聴くこともあった。めんどくさいなぁと思っちゃうこともあった。

 

そういうこともあった。ごめんね。

 

でもね,愛がないわけじゃないのよ。それは当然のことだけれども。

 

 

生理がちゃんときた喜び

 

 

社会人になってから気にしていたことの1つに,生理がある。ストレスなのかなんなのか,こない月があったり,2ヶ月おきだったりすることがあって。

 

 

あれー?やっぱりまたこないな。そうそう,でも次の月はくるんだよね。うん。

こんな感じ。片方の卵巣になにかあるのかも。それともストレスかも。波があるだけかも。でも出血量もまちまちだったり。生理前や生理中,なんか被害妄想激しかったりネガティヴになってたり。落ち着かなかったり。

 

 

仕事辞めてからもなんとなく,安定してなかったけれど今月は,ちゃんときた。先月から数えて,なんか5年前の周期と同じ時期にきてる気がする。まだ1回だけど,嬉しい。心身共に健康が証明された気分で。(仕事してたときももともと健康診断はA判定だったし,精神的なアンケートもクリアしていたわけだけども。)

 

 

そうそう,ふと,生理前や生理中の調子が改善されたなと思ったんだよね。気付いたのは夏あたりだったかな。それでも普段より気にしぃにはなっちゃうし,睡眠時間とか食べるものとか(ニキビとか頭痛とか)予定とか,にはちょっと気を配ったほうが良さそうだけども。腹痛もあることにはあるし。

 

良かったよぅ。更に,より良くなっていこ。

 

 

思い切って納税した

 

 ただの市民税だ。ただの国民の義務だ。なので,まあ,なにが「思い切って」だ,と言われたらそれで終わってしまうけれども。

 

 正直,市民税のことはすっかり頭から抜けていたので,封筒が届いたときの衝撃ったら無かった。昨年はもちろんフルタイムで働いていたし,ボーナスももらっていたし,市民税は比較的高いところに済んでいたので,あらあら,今年もこれだけ納入しないといけないんですね,あらまあ,と思うような額面が送られてきた。

 

 仕事を退職して,引っ越した。引っ越しや初期費用は親が出してくれたので,ありがたく甘えた。

 

 家賃の問題はどうにかクリアした(弟と一緒に暮らし,家賃は折半として,以前親に返金していたニュージーランドぶんの留学費用を一旦返してもらい,一括で2月ぶんまでの家賃を入金した。)

 

 光熱費は母が払ってくれることになり,親から食料をたまに恵んでもらい,ドカンと請求された学費を払い,保険料は一括で払い,ようし,あとは贅沢をしなければなんとか暮らしていける,といった具合だった。後期の学費免除が通らなかったら困るなあとは思ったが(結果はまだ出ていないのでちょっとこわい)。

 

 そんなときに納税の知らせ。しまったああああ,これは盲点だった。納税せねばならぬのだ。こういうことをきっかけに,まあこれは蛇足だけれど,確定申告だの年末調整だのも含めて職場がやってくれてたことを改めて知ることになり,社会の仕組みについて詳しくなった。

 

 まあまあまあ。失業手当をもらって,1期と2期はそれを一気にそのまま納税した。(1期は納期を過ぎてしまいそうだったので,市役所に相談しに行ったが,まあ免除は難しく,いろいろ不安だったことを吐露して安心させてもらって,帰宅した。)

 で,3期と4期はそれぞれわけて納税しようと思って,3期を納入したんだが,やっぱり4期の納入が気になって気になったので,なけなしのお金で払ってしまった。

 

 いや,払ってしまったというか,払ってしかるべきなんですけども。

 

 はあ。これで一件落着です。あとは本当に,食費と,あと気になるのは学費であります。学費が免除されなかった場合,ちょっと頭を下げないといけないかなと思う。学費が免除されれば,少なくとも1月までは普通に暮らせる。おそらく。

 

 国民の義務よ。

 

脳とか心とかの病気

 

 私の友人や知人で,精神的な病気と診断されたひとは,思い出してみると結構いる。

中学校からの同級生,大学時代からの友人,後輩,職場の同僚。

 

 私は病院に行かなかったけれど,いろいろ読んだり聞いたりしていて,あのときもしも病院に行ったら,私も診断もらえたのではないかと思うことがある。

 

 辛い思いをしていた,いろいろ抱えていたけれど頑張ったね,と私自身をねぎらってあげたい感覚がある。

 

 あのころの自分を抱きしめてあげたいという感覚を持ったこともある。大学生のころ,中学校二年生の私を回想していて思った。ある程度成長して,落ち着いたら,そういうふうに思うものなのかもしれない。必死だった時期のことを。

 

 でも,社会人になってからの異常は,本当に異常であったと思う。もう済んでしまったことだけれど,たとえば私の大事な弟にはこんな思いをしてほしくないし,私自身ももうこんな思いしたくない,ちゃんと良い人生を選びたい。

 

 たとえば,なんでもないのに職場で涙が出て止まらなかった。

 車が行き交う交差点で轢かれたいと思った。

 死にたいと思った。

 

 いまの私はそんなこと思わないので。こういうふうに思うようになったら,かなり疲れているから,1日休もう。そう思えるようになったのは社会人4年目くらいかな。実際,そういうふうに思える余裕が出てきたのは良かった。

 

 車にとびこむことは無かった。目の前で大きな事故が起こって欲しい,と他人を犠牲にしようとしたこともあった。ひどい。そんなこと願うなら,休んだほうが良い。

 

 診断された友人は,何日も休んだけれどそれでも辛いようだった。なんとなく変だなと自分で気づけるうちに,1日休んだ方が良い。絶対に。

 

 必死に働いていた自分のこと,褒めてあげたいけれど,ああ。いまの私が声をかけてあげられたら。とも思う。

 

 そんなに頑張らなくて良いよ。

 

 私が退職したあと,私がすごかったこと,褒められていること,そういう話を聞くと嬉しい。いまでも慕ってくれる仲間がいること,嬉しい。

 

 でも,肌がぼろぼろで,家に帰るとぐったりしていた時期がある。なにも料理できなくて,無理やりシャワーをあびて,過食して,倒れるように眠っていた時期がある。洋服もジャージ以外ほとんどなにも持ってなくて。そういう時期のことを思い出すと,かわいそうになってくる。

 

 社会人3,4年目あたりから,お風呂に入れるようになった。肌荒れが良くなってきた。ああ,良かった。頑張った。

 

 

 

 でも,社会人1,2年目の写真を私は見れないのだ。だって,かわいそうな顔をしているから。

 

 ああ,あんな顔で,遊んでいた自分。いろいろ思う。仕事でいっぱいいっぱいなのに,気づかないように予定を詰め込んで,誘われるがままに遊んでた自分。

 

 私は 私は………  あのころよりは生きるのが上手になっていると思う。

 

 良かった,あのとき,手段もなにも考えていなかったけれど,死にたいっていう欲求のまま,死ぬように生きることにならなくて良かった。

 

 でもこれはもしかしたら,ものすごく運が良いことなのかもしれない。

 

 

この感情や感覚を覚えておこう

 

 例えば,この暮らしとか。

 いままで生きてきて,いまが最高級な暮らしをしていると思う。これはまた更新するつもりでいるけれど,しかし。

 念願の研究ができて,嫌いな人にはあわなくて良くて,疲れるような人間関係が選ばない自由があって,弟と暮らすことができて,目覚ましをかけたりかけなかったりする予定の余白があって,ご飯を選ぶ自由があって,トイレにもいつでもいける。幸せである。

 ちょっとだけお金の心配はあるけれど,でも精神的な豊かさがある。計算しながら贅沢はしすぎず,生活していくのは案外楽しい。そういえば,死にたい(どこかからか,なにかから逃げたい)と思わなくなった。

 

 最初はこういうことを書くつもりではなかったんだけれども,いまの感覚を大事にしたいなと思ったら,つらつら書けてしまった。

 

 なんとなく,上昇していきたいという気持ちの癖があって難しかったけれど,これからの人生は私がどれだけ幸せか,やりたいことができるか,なりたい自分でいられるか,だなあと思った。それは他者の目は関係ない,私の世界のことだ。これに気づくことはできていたけれど,なかなかそう思うこと,それが事実だとわかるまでには時間が必要だった。

 

 良い大学や良い大学院に入ったこと,それはひとつの大きな財産だと思う。良い出会い,豊かな経験ができた。でも,就職先は?「良い」の基準はひとそれぞれで,進学先よりも分かりにくい。多種多様。自分の感覚を大事に。癖に惑わされず。

 

 私はいまみたいな生活をずっとしたいと思う。今が幸せだと思う。その感覚に近い職場が良いのだと思う。

 

 どこになるかな。どこを選ぶかな。4月からの私の勤務先。

 

存在する理由としてのドリンクバー

 

 私は飲み物の中で水が一番好きだ。だから,ドリンクバーなんて友達とそこに長居するためにしか頼まない。いくらいろんなものが,いくらでも飲めたってそれはそんなに魅力的じゃない。

 

 でも,今日はファミレスにて,ひとりだけれどドリンクバーを頼んだ。いつもはなにか終わればたいてい家に帰りたい気持ちになるのだけれど,今日は外に長居したい気分だったので。

 

 ランチはある程度時間がたったら目の前から無くなってしまうけれど,ドリンクバーはなくならない。店員さんは私の前になにかあるかどうかなんて,そんなこと気にしないかもしれないけれど。目の前になにか食べたり飲んだりするべきものがあると,安心する。帰らなくて良い理由になる。

 

 家に帰宅する前に駄文をいくつか書いておきたかったので。

 

 先日,久しぶりに友人に会ったとき,また「本当によく覚えているね」と言われた。そうなのだ。私はよく記憶しているほうらしい。あるいは,相手,他者にとってどうでも良いことを私がよく覚えているのか。

 

 私は過去の記憶に苦しむことが多かった(今ももちろんあるけど)けれど,これって他人は割と忘れているのかな。だったら別に私も苦しみ続けなくても良いのでは。と思うことができるようになったのは割と最近。社会人になってから。

 

 なるべく記憶していることを,書き留めておこうと思う。そうはいっても,私も忘れてしまうから。例えば,これはちょっと極端な例だけれど,幼いころの言語化できなかった感情が,言えるようになったりするのはおもしろい。親と答え合わせのように語り合ったり。でもせっかくおもしろく思い出して語り合ったのに,でれがなんだったか,忘れてしまったりもする。

 

 デートしていたのに名前が思い出せないとか,今は全然会えないのにあのときは毎日のように会えていたとか,全部不思議なことに感じる。あのときはあれだけ苦しんでいたのに,いまはけろっとしているとか。

 

エッセイやなにかで自分の人生を書こうと思った人はすごい。書いても書いても足りない気がする。