また分からなくなっちゃった

 

 

実家で、ゆっくり殺されてく感じがするときがある。ままが壊れちゃった、って思うときがある。でも壊れちゃった原因はまま自身じゃなくて、ぱぱや私や亡くなったおばあちゃんやその他諸々だったりする。だから、ごめんねって思いながら少しずつ死んでいく。

 

 

私としては、ほかの家族や優秀な女の子(優秀というか……地元に戻ってきた子たち)と比べられるのが辛い。勉強できないときはできる子と比べられて、友達とうまくいかないときはうまくいく子と比べられて、ほかにも可愛い子、家事ができる子と比べられて、いつもいつも、その相手に嫉妬したり憎んだりしてきたけど、なんだかもう諦めの気持ちになってきた。まあそうでしょうね、と思う。だよねー、私のことなんて失敗作って思っちゃうよね。でも、そんなふうに開き直ったみたいに見せる私が良くないと思う。

 

 

東京が好きなんだけど、たしかに、ずっと居続ける理由を探すことは難しい。結婚とか学業とか、それくらいだね。

 

 

ままが不幸せなのがいけない。ままがもっと自由に、なんでも手に入れて、幸せに生きてくれたら良いのに。でも私が生まれたせい?私にお金を使ったせい?……ここまで考えると思考回路がショートする。

 

 

私がどーなったらままが幸せなのか、よく分からない。というよりも考えないよーにしてるのかもしれない、私が苦手なこと、ままが私に頑張ってほしいこと、全然私がうまくいかないから。ままは私がもっとかわいくて、優しくて、頭が良くて、まま思いで、お金を稼いでいて、地元に帰ってきて、車が運転できて、料理もできる女の子だったら良いのにって思ってるんだ。全然違うくって、ごめんね。真夜中の懺悔。

 

 

最近、帰っても喧嘩ばっかりなの。

 

 

 

すっごく幸せな時間

 

 

今日は、集中講義でいろいろな論文を読んで、修論の検討をして、みんなで意見し合って盛り上がって、そのあと、修論の論文集めて、時間になって、別の授業のもぐもぐ会(お疲れ様会)に出席した。一日中、本当に本当に本当〜に幸せだった。楽しかった。

 

こういう時間を逃したくないって、思ったの。もう私は大丈夫って思ったら、今の仕事を辞めるって、大学時代から思ってたことを思い出した。ねえねえ、やっぱり、想像できることは全部できると思う。

 

仕事は退職して、大学院での研究頑張って、学会発表もして、賞もらって、本も出して(これは小説だけど)、国語の教師免許とって、博士課程でまた論文書いて、発表もして、賞もらう。国語の教師にも、教授にもなる。頑張るよ。

 

 

 

たまに、昔かけられた言葉に助けられることがある

 

そういう経験があると、私も大事に言葉を紡ごうと思う。

 

私がまだ大学生の頃。

 

私がすっごく入りたかったゼミの面接の日。緊張しながら先生の前で色々話した。子どもたちにスポーツを教えていることとそれにかける思い、子どもが成長するときの嬉しさ、について話しているときに思わず気持ちが入って泣いちゃった……。

 

そのことを懺悔として先輩に話したら、

 

スティーブ・ジョブズも、自分で感動するよーな話じゃなきゃ誰も感動させられないって言ってた。自分で話してて感動して泣くのも良いんじゃない?」

 

と励まされた。自分の話に感動して泣く?!?!そんな恥ずかしいことしてないよ、違うよ!!と返した(そんなふうに認めたくなかった)けれど、その不器用な先輩の言葉は五年くらいたった今でも残っていて、事あるごとに私を励ましてくれる。

 

 

6才になっちゃうときがある

 

比喩として。多重人格障害の話じゃなくて。

 

6才の頃って学校で1つ忘れ物するだけでもすっごくドキドキしてすごく悪いことしたみたいな気分になるでしょ?そうやって目の前の世界がぐーっと狭くなるよーな感じ。1つ気になることで頭がいっぱいになっちゃう感じ。悲しいこと、悩み、苦しんだこと、それで頭の中がいっぱいになってしまう感じ。すっごく悲しくなってしまうあの感じ。

 

今日も発表しているときにウルウルして泣いてしまった、子どもみたい。でも今までやってきたこととか自分の紹介とかしていたらなんとなく悲しくなったり救われたりした気持ちで、涙が出た。今日の話せたことは、例えるなら、宗教にハマっていた人が、その宗教について批判できるよーになった、というようなこととすごく似ていると思う。

 

すごく好きな学校だけど。でも私ができることには限界があって……。そういうことに蓋をして、周りには言わずに見栄をはっていたけれど、、そういうのはやめよう。 

 

明日からはまた26歳になるよ。

 

 

 

 

 

 

私はトイレに行けない

 

人前でトイレに行けない。

ある程度仲良くなったら(一緒にいる時間が増えたら)行けるんだけど、特に、男の人の前でトイレに行けない。なんとなく理由は分かるんだけど、多分恥ずかしさ、自意識過剰の極みなんだと思うんだけど、なかなかこれって生きにくい。

 

ひどいとき、職場で行けなくて困った。一番最初の職場、今の職場でも。でもこれは恥ずかしさからの自意識過剰では無くて、「トイレ行く暇あるの?」と思われることへの恐怖という、治療したほーが良いよーな、最悪な感じだった。化粧が直せなかったり、トイレに行けなかったり、汗を拭きに行けなかったり、それらは別に誰かに言われたわけじゃないのに、1年くらい、もしかしたらもっと、自由に出来なかったのだ。おかしいね。

 

少しずつ、あ、今日の飲み会はトイレ行ける、とか、トイレいっても良いんだよ、とか、前向きな気持ちでいられたり自分に言葉をかけたりできるよーになってきた。……でも、これっておかしいよねえ。だんだんだんだん、少しずつ悪化していったから気付かなかったよ。洗脳とか戦争とかそういうのと似ているね。じわじわ。じわじわ。

 

早く治したい。これに治療があるのか知らないけど。

 

 

 

 

あ、あの、ドクドクするような感情を久々に感じた

 

嫉妬?

 

嫉妬なんてもう、随分することが無かったので、説明できないよーなあの気持ち悪さを「あれ?なんだっけ」って思った。

 

なんだろう、他の人の前で電話したくなっちゃうよーな感じ。私は別に気にしてないよって敢えて見せたくなるくらい、体の中がドクドクする。私のことをかまってほしくてドクドクドクドクドクドク体が脈打つ。電話がかかってきて、その場を離れる妄想をしてその場をやり過ごす。もしかして、これっておかしいのかな。

 

頭良いね、かわいいね、良いね、おもしろいね、すごいね、って私以外の人が言われるのって嫉妬する。お姫様体質なんだね。そういう部分が恥ずかしくてこじらせて、例えば、彼氏が誰か女の子や元カノの話したら、そういうの封印して、余裕〜な自分がかっこいいと思い込んで、気にしてないよーな自分を演じてた。みんなそうかと思っていたんだけど、そうじゃないみたいだね。みんなもう少し自分に正直に生きているみたいだ。私って本当は私のことに自信が無くて、人の良くみえるところを真似して自分を作ってるところがあったのかもしれない、私はそういうのとは無縁だと思っていたけれど。

 

そういえば、ままが、私のクラスメイトを褒めるとイライラして、その子の悪口を言いたくてたまんなくなった。そういう感じとも似てる。ああ、思い出す。本当に、あの頃の私は本当に嫌だった。ままが他の子を褒めるのが。あの子かわいいね、って言うと、あああああどうしようもなく悲しくてね。一緒に、うん、かわいいねって言い合えるよーな娘だったら良かったのに、私はどーしてそういう子じゃないんだろう。

まま、自由に話すことさえ一緒に楽しめなくてごめんよ。いまだって私はクセが強いと思う。