明日の自分をもっと愛す

 

 

そうやって生きていくから、今日は弱音を吐くことを許してください。逆に見栄っ張りでも許してください。

 

いまの仕事が嫌だなんて言いたくない。子どものことを悪く言いたくない。たまに愚痴を言っちゃうけど、それは愛があってこそだけれど。

 

私が嫌なのはおじさんだけだよ。でも、おじさんは学校に必要とされてる、と思う。そういうところでジレンマを感じる。そうやって毎回悩む。悩んで、結局同じ結論に辿り着く。そういうのが向いている人と、向いていない人がいて、私に向いていることはほかにあるってことだと思う。私はなんでも出来るけれど、もっと出来ること、やりやすいことは絶対ある。

 

私自身が誰かに愛してもらえるなんて思えない、誰かにとって価値があるなんて思えない、もともとはそういう価値観で燻ったものをずっと心に隠しているよーなタイプなのに、どうして、教員になってから、これは私にしか出来ないことだって思い続けられたんだろう。この子たちには私しかいないんだって思ったんだろう。私だから、教育できるんだって思っていた。ずっと。

 

本当はそうでなかったとしても、いや、私の価値なんて本当はそんなに高くない、でも、そうやって思っていた、そうやって思わせてくれた環境や存在は、本当に有難いものだった、本当に幸せだったなと思う。良かった、こうやって、あの頃を幸せだと思えるよーになることを夢見てた。

愛を感じて泣きそうになる

 

ままは、今の私と同じくらいのときに、私を生んだ。どんなに大変だったか、こんな私を育てるのは、と思ったらままが可哀想で泣きたくなる。ままって、本当はもっと幸せになれる存在なのに、私が生まれたせいで、私が幸せを奪って、吸っていったせいで、ままが不幸になっちゃってるってこと、ないかなぁ。そういうこと考えて不安になることがある。悲しくて泣きそうになる。だって、ままが幸せなら、私は生まれなくたって良かったんだよ。でも矛盾しているようだけれど、できることならままのこと、ずっと見守っていたいけれど。もう26歳のくせに、たまにままを大切にしたくて泣きそうになる。ままが幸せなら良いのに。ままは幸せだよって言うけど、私がいなければ、もっと幸せだったかもしれないよ。私って本当に個性的だったし、それを隠さなくて良いと思ってたの。個性って、本当に、認められるべきものだって、なんでか、学ぶ前から知ってたから。でも日本でしかも田舎で、私を育てるの、すごく大変だったよね。ほかの部分でもたくさん。

 

ままが、私の恋愛を心配してる。心配っていうか、私に、すごく会いたい人ができて、その人と幸せな時間を過ごせるよーになると良いなあと思ってる。楽しんでほしいって思ってる。私は恋人がいなくてもすごく今楽しいけれど、ままがそういうなら恋愛をしたいなと思う。ままが私への愛で、そう言ってくれてるの、分かるから。

 

 

 

 

ままー

 

 

付き合う、付き合わないは関係ない

 

切り取った素敵な思い出って、付き合う付き合わない関係なく、素敵なものだってことに気付いたから。そういうことに気付かない頃(なんと昨年まで)は、付き合う付き合わないの約束ばかりにこだわっていて、大切なことに気付いていなかった気がする。

 

私は本当に、当たり前のこと、ほかの人にとってはもう当然のことに、実感として気付くのに時間がかかるんだ。例えば、大切な人を大切にするとか優先するとか。そういうことはして良いことだし、むしろしなきゃいけないことなのに大学3〜4年になるまで気付けてなかった。だから大切な人が、私にとって大切じゃないことになっちゃったり、私が大切にできなくて後悔したり、そういうことがあった。

 

話を戻すと、付き合った素敵な思い出も付き合わなくて素敵な思い出も、全部全部、私の大事な宝物ってこと。例えば歌を送ってくれたあの人とあの子は私の恋人では無かったけれど、誰かが私のために歌を送ってくれたってことは、私を一生支えると思う。サプライズが嫌いな人からの。サプライズバースデーも。

一時期、なにやってんだろ、って思って思い出したくなかったよーな、悩みのタネだったよーな思い出も、全部、もうここまできたら、全部、本当に全部、愛おしくてかけがえのないものになる。良かった。大丈夫だよ、って伝えてあげたい。あの、ぐるぐる悩んでいた私に。思い出になっちゃった人たち、あの頃あんなに会っていたのに疎遠になっちゃった人たち、そういう人たちとの時間にも確かな価値があった。

 

経験してきた私の脳みそ、体が、すごく愛おしい。良かった、今日からこの価値観で生きていけるんだね。おやすみなさい。

 

 

私が、なんちゃってかぐや姫だった頃

 

私には不特定多数に好かれる時期があって(それをモテと思っていたけれど、いまは違うってわかる)、それはあの頃の私の不安定さだとか明るさとか薄っぺらい部分だったりその逆だったり、おもしろさだったり、そういうものが大学生だからこそ魅力になっていたんだと思う。

 

それにしても、その頃の私は相手を試すようにデートしたり付き合ったりしていることがあった。かぐや姫みたいに。それに加えて、相手にとっての良い相手を追求するから好かれる、みたいなところもあって、そういう双方をを全部合わせてどうにかバランスとれていたんだと思う。ある男性の言葉を借りれば「よくわかんない」存在になってしまっていたかもしれないけれど、そんなその頃にタイトルをつけるとしたら、かぐや姫状態。勘違いかぐや姫、なんちゃってかぐや姫。お姫様を演じるけれど、お姫様でいたいけれど、そのために、競争してもらうよ、試させてもらうよ、好きでいてね、そういう感じ。

 

相手のためなんて考えたことなくて、自分本位だったから、節目を迎えると別れてしまっていたんだと思う。(少しでも嫌になると乗り越えられないし、留学やら卒業やらなにかあるとそれを越えられない。でも、いま、全てぼやけてあやふやなのも手伝って、良い思い出のようになっているから、まあ良いのかも。)

 

人との向き合い方はあの頃よりもずっと良くなっていると思うよ。だけど、まだ付き合う自信が無くてね。

 

 

でもねえ、そんな私が、こんな私は結婚できないかもな〜って思ってねえ、それってなんでか誰にも言えなくてね。そんなこと言ったら、本当にそうなっちゃいそうで言えなかったんですけど、でも、ふと、お母さんの前で言ってみたら、「結婚は楽しいからあなたにもしてほしい」って言ってくれたんだよね。そんなこと言われたら、じゃあ、結婚したいなって思うよね。

 

そうなんですよ。もうかぐや姫にはならないよ。

 

 

毒薬

 

その薬を飲んだら、毎日を大切に思えるようになった。

 

カフェでパンケーキを食べながら、道行く人を眺めて、あぁあの人たちそれぞれに人生があるのねと思ったら、見知らぬ人まで少し愛おしい存在になった。

 

昔のことをよく思い出すようになった。昔感じていたことも。私って意外にもいろいろなことをよく覚えているんだなぁと思った。家族や友人に話した。

 

パンケーキは一枚でじゅうぶん、味わっていたらお腹いっぱいになった。

ゆっくり、ゆっくり私は死に向かっていく。

 

私はいつか死ぬ。

 

 

 

 

 

 

ふと思う。このことを意識するための薬なのではないか。あの薬を飲んでも飲まなくても、寿命は変わらないんじゃないか。ただ、死ぬことを意識できるようになるだけで。いつか死ぬってことは私を楽にしてくれたり、感情や行動を変えたり、必死にさせてくれたり、する。

 

 

 

 

……あ、本当に飲んだわけじゃないけど。

日本語が通じない

 

生徒だったらまだ諦めがつく、あるいは自分のせいにできるんだけど、日本語が通じない相手はおじさんだからストレスがたまる。

 

たぶん、ちゃんと日本語が読めていないのと、私が言っている言葉が本当に意味が分からないんだと思う。

 

そのおじさんの世界の中では私は生きていけないから、もうやめようと思う。

 

さようなら。

 

 

すっごく楽しいけれど、時間が足りない

 

諦めることを知ってしまってから、人生の満足度があがってしまった。

 

自分の人生の大切さを考えられるよーになった。それまでは卒業しちゃった生徒やその保護者のことまで考えて、わたしはこの仕事を辞めてはならないなんて考えていたけれど、そういう責任感に縛られていたけれど、そんなことないみたいだ。辞めてしまったら保護者も生徒もあらあらまあまあ寂しいなとは思ってくれるだろうけれど、それで終わり。絶対3年間は辞められないなんて責任感も、別に保護者や生徒には伝わっていなかったみたいだし(辞めちゃったらどうしよう、と毎年ドキドキしていたらしい。それは私に担任を持ち上がって持ってほしいという思いの表れだけれど、私としてはショックだった。やめるわけないじゃないか、と。でも、あそこまて自分を縛らなくても良かったのかもしれない。)。

 

学校という職場に対して、どうして時間や場所を拘束されてしまうのか、どうしてあんなおじさんと働かなきゃいけないのか(この間の土曜日に語るおじさんを見て、また嫌になっちゃったけど)。そういうの考えにくくなった。

 

大学院生という立場、そして働いているということ、両方が相まって楽しいけれど、時間が足りていないことは感じる。本を読む時間、文書を推敲する時間、家事をする時間、仕事に向き合う時間、遊ぶ時間、映画を観る時間、自分のメンテナンスに使う時間、そういうものを少しずつ少しずつ削って(つまり、諦めて)毎日をどうにか生きてる。そんな感じだと思う。知らないうちに諦めて、それが当たり前になって、平気なことになってるね。

 

博士課程まで行くとしたら、そのためにどうやってお金を稼ぐかを考えなきゃなーー。