心の居場所

 

なんとなく心の居場所があることを感じる。友人の側だったり、家族の側だったり、おじいちゃんおばあちゃんの側だったり。そういうものを感じたり、そういう者たちに刺激を受けたりすると、自分の本当の気持ちが分かる気がする。

 

なんとなく誤魔化していることが分かるというか。

 

今日は転職したくなった。いまの居場所は変えずに、ずーっと働けると思える場所に行きたい。市役所とかどうかな。

 

「無理だなあ」と思えることがない場所で働きたい。そう、これがストレスなんだよね。部活とか、残業とか、そういうの、やればやるだけ良いみたいな風潮、これがどうしても私の中にあって、それがストレス。実際はうちは早く帰れ!のスタンスなんだけど、生徒指導が入ってくるとやっぱり早く帰れない日が多くなる。

 

時間内の仕事はすごく好きだけれど、時間が過ぎるとストレスになるし、これを永遠(例えば家庭を持ったり、年を重ねたりした後)にはできないと思うんだよね。

 

だから、今年、大学院に通ってみて、まあそれ自体が出来るかどうかがポイントになると思う。大学院が実現できるかどうか。

 

できなかったらそういう職場なわけだから相談しよう(辞職しよう)と思うし、もしできたらもう少し続けてみようと思う。

 

0か100かじゃなくて、まずはゆっくり考えてみよう。……そう思いつつ、決断を出すなら早いほうが良いだろうなとも思う。だって、やる気がある人がいたほうが、職場にとっても良いと思うからねー。

 

そう。うちの学校が求めている人材について、そこからずれているよーな気がして、それが辛いってゆーのもあるんだよね。

 

 

結婚式

 

結婚をする友人達、結婚を前提にお付き合いしている友人達、がすごく大人に思えるし羨ましく思える。素直にそう思えるのは大人になった証拠、年齢を重ねた証拠、そして成長した証拠なのだと思う。

 

考えてみると、私の周りの男友達は結婚が早いような。そして必然的に新郎側の友人として結婚式に出ることが、新婦側の友人として出席した回数よりも今のところ多い気がする。

 

改めて数えてみると……

K先輩、Kくん、K先輩、K君、Y君、J先輩、

Y先輩、Yちゃん、Eちゃん、N先輩、C先輩、だったかな?大体一緒だった。

断ってしまったものもあるけれど。

Yくん、Y先輩。

この他にも結婚した友達は男女問わず多いから、そういう年齢になったんだなあと思う。

 

私も結婚したいなぁ🤵💒👰

 

 

 

 

音楽にひきこまれる

 

旅行先で三味線のライブをきいたのだけれど、音にひきこまれる感じだった。背景には月やら桜やら紅葉やらが描かれていて、それはライブの前にも見ていたのだけれど、音楽と照明のおかげで命が吹き込まれたみたいになっていた。月も輝いて、桜も紅葉もその光をうけてキラキラしていて、三味線の音が脳内にぐーっと入ってくる感じだった。

 

今回の旅行は、季節外れだったみたいなところもあって、観光地としては人が少なかった。親切にしてもらえることもあったり、日常に調和しきれない私たちが歩いているというだけでなんだか楽しかったり、青色の空と緑色の木々の葉のきらめきに吸い込まれそうになったりした。ぐわーんと高いところまで木がのびて、緑がいろんな緑で、空に映えていて、ずっと見ていられそうだった。

 

ゲラゲラ笑って、たくさん写真を撮った。楽しかったね。

 

 

 

 

高級めのホテル(旅館?)に泊まった

 

すっごい楽しかった。なんでかってゆーと、一緒に行けた子が気のおけない友達だったからだと思う。

 

下品かもってくらい爆発的に笑って、温泉にゆっくり浸かって、季節外れの県を堪能した。桜も咲いてないし、雪も中途半端だったけど、楽しかったしおもしろかったし、ゆっくりできたしたくさん寝たし、幸せな2日間だった。

 

今更ながら、改めて、一緒に過ごす人ってとても重要だなと思う。すごく楽に過ごせた。沈黙でも。急な話でも。どんなんでも大丈夫。

 

また行こうね。

 

 

セクハラを上司に話した

 

特になにをしてくれるわけじゃないようだけれど、私もそれは別に望んでいないし、もう起こってしまったことだから。でも、その上司が完全に味方してくれたおかげでスッキリした。少しでも相手を庇うよーな言葉を言われたら、9月で辞めようと思っていた。

 

これからは自衛のためにカラオケも飲み会も控えようって気持ちを強くしたよ。

 

「本当にセクハラ?」って何度も何度も自問して、友達みんなに心配されて、やっぱりおかしいんだなーと気付いて。嫌なことは嫌なこととして発信していこうと思う。だって、言わなきゃ分からないもんね。

 

 

まあ、どう思われても良いや

 

職場の人たちになんて(特に、あんまり好きじゃないおじさんたちになんて)どう思われても良いや〜と思ったらすごく楽になった。もしかしたら、どう思われても良いやっていうこの感情こそが強さの秘訣なのかもしれない。

 

お礼や感謝の気持ちはちゃんと覚えておいて、ちゃんと感謝の言葉として伝えて、嫌な人に対してはちゃんと距離をおいて、自分のプライベートを大切にしていこう。

 

友達ですら疎遠になったり、逆に疎遠だからこそ会うと楽しかったりするんだから。職場の人間関係なんて、生活の2割。仕事内容も含めて、職場のことなんて2割の力でやれば良い。ありがたいお言葉だ……

 

 

Netflix「蛇にピアス」

 

数年前だったら、痛々しくて観られなかったと思うし、ピアスを拡張するときなんか手でなんとなくテレビ画面を覆って薄目を開けて観ていた。(私はクロームキャストを使って観てる)

 

ルイ、アマ、シバ。

 

ねえ、シバがアマを殺したのは愛情表現としてなのかな?

 

そうだったとしてもアマがかわいそう過ぎる、アマがそういうの望んでいたらまだ救われるかもしれないけれど、あんなにルイのこと好きで、笑顔で、ルイのこと心配していて、それなのにシバに殺されることを望むわけないし。

 

そもそも、シバがアマを殺したという確証もないけれど、シバが殺したんじゃないとしたらもっとアマは報われない。暴力団だかなんだか、そういう人たちに殺されたってことになる、そしたら散々痛めつけられて誇りも保てないような感じで殺されたってことだもん。ああ、でも、どんな相手だとしても、酷すぎる。

 

アマを殺すなんて。アマ、こんなことなら人を殺したときに刑務所に入っていたら良かったね。そしたら生きていられたかもしれないのに。アマが殺した相手には感情移入しないのに、アマの死にはこんなに感情が動いている。日常生活においても人によってこういう格差、差別、区別?はあるよね。

 

でも、書いていて思うのだけれど、こんな世界恐ろし過ぎる。こういう世界は本当にあるのかもしれないけれど、触れていたくない。できる限り離れていたい。私の家族にも触れさせたくない。フィクションとして閉じ込めておきたい。

 

アマが危なっかしくて、にこにこしていて、微笑ましくて、愛らしくて、ずっと生きていてほしかった。別にルイがシバと付き合うのは良い、結婚するのも別に良いと思うんだ。むしろ自然かもしれない。だってルイはシバといるときのほうがドキドキして気持ち良くてワクワクして安定して甘えていたよーに見えたし。

 

 

でも、アマはアマで、2人とは違う場所ででも生きていてくれたら良かったのに。

 

 

アマ。この物語はフィクションであるはずだし、アマみたいに亡くなってしまった人がいてほしくないけれど、もしかしたら、そういう人がいるかもしれない。私とは違う世界、そう言ってしまいたくなるような怖い世界のなかで。想像もできない、うまく言葉にできないけれど、その人たちのご冥福をお祈りします。