Netflix「怒り」

 

衣替えと洗濯しながら、「怒り」をなんとなく流し観ようと思ったらじっくり観ることになってしまった。洗濯物を干すとき、わざわざ映画を一時停止した。

 

怒り、途中でどーしても気になってネットでいろいろ調べてしまって、後にしたら良かった……と思った。だいたい先に調べておくのだけれど、今回は調べなくて良かったやつだ。初めての後悔。ハラハラドキドキ、考えながら最後まで観たら良かった。

 

怒り、全体的にやるせない気持ちになった。何人かは幸せになれそうで良かった。幸せになれるかどうかなんて分からないけれど。

 

なにも悪くないのに傷ついたり酷い目にあったり、それでも生きていくしかなかったり、そういうことってあるんだよね。うまく生きていけなかったり、誰かを羨んだり恨んだり、誰かのために生きたいと思ったり、幸せや楽しさや嬉しさばっかりじゃなくて、悲しみや痛みや苦しさや怒りかあって……それでも私たちは生きていくんだね。

 

 

 

 

井の頭公園で夜桜

今週のお題「お花見」

 

井の頭公園での宴会は夜11時までだ。意外と寛容な時間設定。吉祥寺駅から井の頭公園までの道を、老若男女たくさんの人たちが歩いて行く。

 

土曜日の夜、なんだか楽しそうな人たちがたくさんいる。そんな生き生きとした夜の仲間たちを見下ろしながら、友人とピザを食べた。

 

夜桜でも見に行く?と井の頭公園へ。みんな、桜を肴にビールやらお酒やら、暗くてよく見えないけれど、いろいろ飲んだり食べたりしてる。頭上には夜に浮いてみえるたくさんの桜たち。くっきりと映えている。美しさに見惚れた。

 

酔ったひとたちから、おーい、一緒に飲もうよ、と声をかけられるけれど無視。そんなのに目もくれないくらい、サラリと無視できるくらい、桜が綺麗だった。

 

もっかい行きたい。

 

 

違う場所に行くのが好きだ

 

脳内だけでも、実際に体を動かすことにしても。だから映画を観たり本を読んだりするのも好きだし(脳内旅行)旅行も好き。海外でも国内でも、近場でも遠出でも。

 

私は誰にも縛られず、一カ所に縛られることなく、これからも行きて行こうと思う。大好きな自分と。

 

西加奈子さんの言葉、うそをついてかっこつけるよりも、正直にやって笑われるほうを選ぶ……ってすごく素敵だと思った。私も、私自身の経験として両方もってる。批判や嘲笑を避けて調子よく無難にやっちゃったこともあるし、思いだすと痛々しいくらい頑張って一生懸命、不器用だったこともある。そういうの全部ひっくるめて、自分だ、って思えてる、そういう今の自分を大切に思える。

 

それから、これはこの文章を書いていて気付いたんだけども、過去の他人に対する憎しみが消えてる。時間によるものなのか、私の変化によるものなのか、それは分からないけれど嬉しい。

 

 

 

Netflix「パーフェクト・スイーツ」

 

まだ一話しか観ていないけれど、おもしろい!言葉も暖かいから観ていて楽しい気分になる。日本のやつみたいに意地悪に否定する感じがないのが良いね。Netflixオリジナルはおもしろい内容が多くて嬉しい。生徒にも観せようかな、授業で。

 

四月から大学院生になるので、アマゾンプライムスチューデントに加入しようかなと思うのだけれど(書籍10パーセントポイント還元とか魅力的。プライムリーディングとプライムフォトも!)。そこにはプライムビデオもあるよね。

 

それでもNetflixも継続させよーかなと思ってるくらい、Netflixオリジナルが好き。「あいのり」も「テラスハウス」も、「今日のゲストはスターも」。まだ観ていないけれど「ジョエルマクヘイルショー」もおもしろそう!

 

最近の趣味は、「読書とNetflix、旅行と運動」だな〜

 

 

良い天気だねえ

 

何年か前に、雨とか雪とかを良いねと思えるように長靴を買った。数ヶ月後にレインコートを買った。それ以来、雨の日や雪の日を嫌いじゃなくなった。長靴はこう❤️レインコート着よう❤️❤️の日になった。

 

春って、地元に帰省すると花粉症が酷くなる。だけど、雨や季節外れの雪なら花粉症は和らぐ。嬉しい。

花粉症の辛さのおかげで、高めの長靴やレインコートがなくても、どんな天気でも「良い天気だね」と言えるよーになった。

 

さて、花粉症の話になってしまうけれど、私の場合、花粉症は、辛いときと辛くないときがあって、それは花粉の種類とか飛ぶ量によるものと言ってしまえば簡単だけれど、もう少し知りたい……と思いつつもただ仮説をたてている状態のままだ。

 

体調が悪いときや疲れているときなど、調子が悪いときは花粉症が酷くなるし、健康的なときは花粉症があまり気にならない。しばらく海外に行っていて、戻ってくると花粉症が治っていることもある。

 

花粉症について、有名な定説というか説明として、自分のなかの花粉を貯めるビンがあってそこから花粉が溢れ出すと症状が出てくる……というものがある。最近考えたのは、そのビンはろ過器のようなものなのではないか?ということだ。

 

体は花粉などのアレルギーをろ過していくんだけれども、それをろ過しきれなくなったとき、アレルギーを発症してしまう。もう無理〜〜〜摂取しないで〜〜〜という体のサイン。だから体調の良いときにはろ過もどんどんできるし、海外にいるときはアレルゲンが少ないから日本に戻っても摂取する量は日本にずっといるよりも少ないから、調子良い。ね??

 

 

 

今、上記の内容を私が思いついた例え、仕組みみたいに思ってるけど、実は本当にそうで、もはや一般的に知られているもの…常識……だったりしたら恥ずかしいな。この記事。

 

 

機嫌をとってほしい

 

子どものような恋愛しかしていないのにまた恋愛について書いてしまうけれど、

私の恋愛は相手に与えるのではなく、いかに相手から搾取するか、いかに相手が私に尽くしてくれるかというところに重点をおいてしまう場合と、その全くの逆の場合とあって、両極端な感じでなかなかうまくいかなかった。

 

極端になってしまうのは、自分と相手の両方をみるってことが出来ていないからだ。次の恋愛ではバランスよくお互いを大切にしたい……

 

 

 

 

パワハラの記録

 

私は覚えています。あなたが忘れても、私はちゃんと覚えています。

 

カラオケで膝のうえに覆い被さったこと(セクハラ)は百歩譲って責め立てません。日付が曖昧なことも相まって、証拠になり得ないかもしれないから。ただ、当時の状況はありありと思い出せますし、メンバーも、カラオケの場所も覚えています。誰かしら日付を思い出せるのではないでしょうか……

 

そうだ。思いだしました。3年目のあの日、運動会の前日です。

 

もう飲み会には行きたくない。飲み会に行きたくないということは、2年目の2月に先輩に話していること。飲み会のトラウマで学校に足が向かず、そのストレスが理由で私は2月に1日だけお休みをいただいています。これではマズイと思ってしっかりとそのことをその、飲み会に誘ってくる先輩に伝えたのに、その後も誘われることが多々ありました。そのある先輩からは週6で誘われていましたが、それはアルハラになりませんか。私は電話やメールの記録を削除したことを大変悔やんでおります。……でも更に酷いことに、今回訴えたい、セクハラ・パワハラの相手はその先輩ではないのです。

 

特筆すべきは、2学年の臨海学習中の生徒同士のある事柄を、生徒が帰宅後に報告したときのことです。それを知っていたのは私ともう1人の先生でしたが、2人とも現場をみたわけではなく。でも、私が報告したので散々職員室で怒鳴られました。怒鳴られた内容は覚えていません。そのあと、先述の先輩のほうから飲みに誘われ、わたしは断れずにのこのこ行って、またしても、いや、お酒の力もあって散々怒鳴られました。今回のことはあんたが全部悪い、責任を取れ、自分のこととして受け止めろ、と散々怒鳴られました。わたしは地元に帰る予定でしたが、その飲み会のおかげで真夜中に帰ることになりました。俺はあんたに来て欲しいなんて思わなかった、あの人が呼ぼうと言ったからよんたんだ、とも言われましたが、呼ばないでくれていればどんなに良かったか。説教で飲み会に呼ぶなんて本当に酷い、散々しかったくせに、もう呼ばないでくれ、と思いました。怒鳴られてどんどん涙が出てきて、職員よりも更に怒鳴られて、人前での屈辱、涙がとまりませんでした。私が泣くことによって、ようやく相手は満足したようでした。

 

怒鳴られたら辞めるから、怒鳴りません。昔はよく怒鳴られたものだった…という話があるようです。怒鳴られてやめるなんてと否定的に捉えてらっしゃるようですが、そうではなく、怒鳴らなくても分かるように話しても良いのではないですか。そもそもわたしは、怒鳴られなくても話がわかります。むしろ怒鳴ってもわたしには何も残りません。それが育ってきた環境やあなたとの違いであるのなら、私は適応しません。怒鳴らなければ伝わらないなんて固定概念があるのであれば、それを疑ってみてはいかがですか。

 

更に、3年目3月の慰労会では、2回ほど波があり怒鳴られましたが、よく言っていることが分かりませんでした。私がなにも言っていないのに、話してすらいなかったのに、急に怒鳴られはじめた感じで、誰も助けてくれませんでしたが、それは、見て見ぬ振りをしたのか、それともざまあみろとでも、良い気味だとでも思っていたのか、分かりませんが、とにかく、私はよく分からない理由で、怒鳴られました。理由が分からずに怒鳴られること、しかも人前で、まとめの慰労会で、お祝いの場で、飲み会の場で、怒鳴られることの屈辱。そして、未来のことについて、まだ分からないことについて、予習のように怒鳴られたことについては遺憾の意を表明します。教員として決して感情的になるな、と言われたのですが、それは私に言う前にあなたがどうにかしたらいかがですか。もしも、あなたの言っていることが全く私に伝わっていないとしたら、それはまたあなたは私のせいにしそうですが、あなたの伝え方にも問題がありますよ。言い方がきついというよりは、人を、しかも生徒でもない、1人の人間を、人前で怒鳴るということは普通はありません。しかもお酒の勢いで怒鳴るとは、本当に恥ずかしいことだと思います。

 

長くなってしまいましたが、記録として保存します。もしもまた煮えたぎることがあれば、私はこれをより精査し、上司に渡そうと思います。