好きなもの(者)ができた

今週のお題「夏を振り返る」

 

この夏,ある芸人を好きになった。今日もその芸人のライブに行ってきた。

 

 

フェスやライブ,あとは美術館によく行くけれど,特定のものを目当てに行ったことは無かった。ふらっと気分で気になったものに行く。そういう程度。

 

 

でも,今回は違う。その人目当てに,チケットを購入して,その人目当てに前日の夜からワクワクして,おしゃれして向かう。当日は早めに到着して,近くのお店で時間潰して,開演にはあと30分あったけども入口をくぐった。

 

 

この建物のなかのどっかにいるんだろーなと思ったらドキドキした。ここでアルバイトでもしようかな。音響とかやりたいな。ああ。

 

 

で,観たら,ああ,こんなに近くで喋ってくれて嬉しい,おもしろい,かっこいい。でも1回目の失望感は無くて安心した。認知してくれないという辛さ。それは軽減されていた。

でも,でも,観ているあいだ,かわいくなりたいと願った。彼の目にとまるくらい,かわいかったり有名だったりしたい。私を知ってほしい。やっぱり,認知してほしい。

 

 

彼は仕事している。私も研究を頑張ろう。私も頑張って,チケット代は自分で稼いで,好きな限りはいつまでも観に行こう。

 

 

好きなものがあるって嬉しいなと思う。飽き性な私だけど,この感覚は良いな。好きなもののために頑張る。こうやって自分のために生きていきたいな。そういうきっかけやら諸々があって,改めて人生観も変わった。

 

 

いままでは,辛くても辛くても,私がやらなきゃっていう使命感のなかで仕事をし,仕事を探してた。でも,私がやらなきゃいけないなんて,そんなことそうそうないなと最近気付いた。私がやらなくても,だれかやるんだなーと。私で良かったことはもちろんあると自負してるけど,私が苦しみ続ける必要はないんだなと。だって,苦しまなくても出来る人がいる。そうであれば適任にやってもらったほうが良いんだ,と。あるいは,適任なんていない(みんながその仕事では苦しむ)としても,苦しいことを自ら引き受けなくても良いんだなと。今更ながら。仕事が全てだと思ってたけど,そうじゃないなと思った。仕事を全てにしようとして,自分を捧げようと思ってたけど,そうするべきだと思い込んでいたけど,そうじゃなかったみたい。

 

 

 

私は,私の選択で出来てるんだな,と思った。やらなきゃやらなきゃっていう使命感に押しつぶされそうになっていた。やらなきゃ,じゃなくて,私は私の人生を謳歌して良いんだね。誰かのために!って思いは,もう少し薄めても良いかもしれない。自分と他人への愛の配分を変えてみても良いかも。

 

 

 

 

強いて言うなら,私がやらなければ誰もやらないことは,私自身の研究くらいかな。これはすごく嬉しい気付きだった。頑張る。意味のあるものにできるように。

 

 

 

 

好きなことをしていこう。私が喜ぶ選択をしよう。それは私にしか出来ないことになる。この夏の気付き。