この頃になって気付くとは,

 

ふとしたときに,過去の疑念が解消されるというか,その当時は相手の言葉に納得できなくて,そんなことあるのか?どういうことだ?と疑っていたことについて,ああ,確かにそうだったのかもしれないと信じられるようになる,こういうことかもしれないと深いところまで考えられるようになる,理解できるようになる,ということがここ最近立て続けに起こった。それぞれ全然違う場面,ことだけれど。

 

 

ハッ,これか,本当だ。本当だったんだ。と思ったのだ。勝手に疑って,勝手なタイミングで腑に落ちている。

 

 

1つ目は,大学のときに非常に好きだった先輩が,卒業制作のために時間が惜しくて惜しくて,なんにもほかのことは出来ない,どうしてもデートの時間が捻出出来ないと言ったこと。

 

私はその先輩の言っていることは分かったし,どれだけその作品にかけているかってことも側で見ていたつもりだったけど。私自身がそこまで何かに焦ったり時間をかけたいと思ったりしたことが無かった,なんでもどうにかやってきた,よく言えば要領よく,悪く言えば諦めよく,やってきてしまっていたせいで,体感としては理解出来ていなかった。

 

でも,今日,あと半年しかない大学院生活でどうやって生活しようか考えたとき,やっぱり研究を最優先にしたいと思ったのだ。そしたら,デートのお誘いとか後輩やら先輩やらそのほか友人からのお誘いとか,知り合いからの頼みごととか,遠くなって,全部どうでも良くなってしまった。そういうことに時間を割いている場合じゃないな,と思ったのだ。そして,ああ,先輩もこういう気持ちだったんだね,それは尊敬に値することだし,拗ねた自分にはかわいそうだけれど,先輩の側から考えたらしょうがないことだったなと思った。そういう消化をした。もう消化したつもりになっていたけれど,今度こそ本当に消化した。

 

 

 

 

2つ目,海外に行っちゃった親友と電話をしたとき,親友が「結婚を考えられない相手を好きになって,傷つくのは辛い」と言って,ハッと思い出した彼がいた。

 

 

私が東京の大学院に進学すると事後報告したとき,彼の中の温度が下がったのがわかった。電話なのに,くっきりとわかった。距離を置かれたような。私もそうなることを恐れてた。だから,言わないでおこうかなとも思っていたけど,彼との楽しくていくらでも続く電話の中で,自分のことを,どうしても話してしまった。あなたも喜んでください,という気持ちで。

 

 

 

そのとき,彼の中で私と付き合う選択肢,恋人としてみるスイッチが切られたのだと思う。彼にとって私は大事な存在なのだ,というところから話を切り出された。でも,だからこそ,付き合うことはできない,と。

 

 

彼は私をふるときのセリフとして「だって,俺のところ(彼の住む地方)には来てくれないでしょ?無理でしょ。来れないでしょ。」と私を責めるように言った。

 

 

 

「ずっと友達でいるか,結婚するかだよ。」

 

 

 

付き合う選択肢を残してくれなかった。

 

 

 

そのときの私は,彼の言葉の意味がわからない,と悲しんだ。本当はちょっと分かった。そういうこじらせ方を私もしていたことがある,と思った。でも,それでも私はあなたと付き合っていたいのに。苦しかった。結婚は,付き合ったその先に一緒に考えるものなんじゃないの?一緒にいてこんなに楽しいけど,友達として一緒にいるのは楽しいかどうか分からない。だって,いま,この会話をしていて苦しいから。

 

 

 

あのときの彼の言葉の意図を知る。当時の彼と私ではうまく想像できなかった結婚する私たち。

 

 

 

結婚しないであろう私たちは,付き合っても,別れる。

 

 

 

彼としての,もう傷付きたくないという意思表示でもあったのだと思った。いままでどこかしっくりきていなかった友人や上司からの「解説」(消化出来ずに相談した結果,いろいろな解説をもらったのだ)は全てやっぱり少しずつ違っていて,今回の親友の言葉が,彼の代弁だと思った。

 

 

 

結婚してくれ,という意味であると上司は解説した。付き合えないと私から言わせるためのセリフかもしれない,と友人は言った。ああ言えば納得するだろうと謀っての言葉だろう,と私は思っていた。

 

 

 

全部ちょっとずつあってて,ちょっとずつ違った。

 

 

 

 

 

臆病で,自意識をこじらせていて,中学生みたいだった私たち,私たちって似てるねと言いあった,こんなに一緒にいて楽しいね。こじらせ方も似ていた。当時の思考回路も。片割れのようであった彼らしい言葉,隠された思いを,いま,勝手ながら読み取る。2年越しに。