生まれてすみません

 

よく、生まれてすみませんと思っていた。

どうすれば良いんだろう、死ぬこと以外の方法が思いつかなくて悩んだ。

 

 

どうして私はかわいくなくてピアノも下手で表彰もされなくて頭も悪くて友だちともうまくやれないんだろう。お手伝いも好きじゃない。

 

 

かわいい子は不良化する地域で育った。田舎で私は不良になれなかった。ならない選択をした、とも言える。テッペンをとる瞬間は選べるのだと思っていた。ここでテッペンをとったら、学歴社会に乗り遅れる。大人になってからテッペンを見よう。天下を取ろう。漠然とそう思っていた。学歴だけでみるのは違うような気がするけれど、世間がそうならしょうがない、その地位までいって世の中を見てみよう、それでやっぱり違うと思ったら違うって言おう。説得力があるじゃないか。そう思っていた。

 

かわいい不良たちはかっこよくて輝いていてすごかった。流行を作ってた。いつみても変わらなかった。高校に進学してもう会わなくなって、私の住む場所が変わっても、かわいい不良たちのSNSは追い続けていた。だってかわいくてかっこよくて、憧れって言えない憧れだったから。内に秘めた想いは濃くて濃くて、媚を売って書いた手紙も交換したプリクラも捨てられない。

 

いつのまにか検索しなくなってしまった。でもたまに、SNSに流れてくるあの子たちはやっぱり、中学校の頃が一番素敵だったと思う。あの子たちはすっごい可愛かった、でもテッペンはそこ。今は下降気味に見える。あるいは変わらなすぎて、でもあの頃とは違うものになってしまった。

 

これは一体いつ書いた記事なのだろう。

ステキな不良たち、カリスマの人たちを勘違いしていたことに気づく。

その気づきも含めて、当時の憧れとともに、中学の頃の仲間に話したら意外と共感された。あの髪型、横むすびがかわいかった。しっかりひかれたアイライン、ほっそい眉毛、派手なプリクラ、短いスカート、激しい恋ばなと縄張り争い、ギャル文字、、、真似したくて、でも恥ずかしくて、ちまちま真似してた。

 

地元仲間に話したらすっきりした。これは平成のお話。