もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある。

 

リマインドとして、私のために書いておく。読み終わって、「あらら読み終わっちゃったよー、もっと読みたかったよー」と思った。

 

■覚えておくこと

・自分が予測しないところで誰かが自分を見ている

・人は自分を助けてくれるものにお金と時間を使う

・収入とは、何人の人にどのような感動をどれだけ多く与えているか

・目の前の仕事にどれだけ愛を込められるか(心入れ)が大事

・リラックスする(力を抜く、夢中になりすぎない、のめりこまない、一歩身を引いておく)

・議事録と忘備録、お礼とお詫び

・優先順位を見直す

・好奇心を深くもつ
・観察し、想像する
・基本はおもしろい。まずは基本を大切にする
・もし、の視点を持つ
・自分の味方をつくる。トップのそばにいく

 

■これからやってみること

・なんでもベスト10をつくる

・いつもなにか新しいことを1つする

・新聞を読み比べる(学校においてある新聞を読もう)

・流行り言葉を使わない

・小さな約束を守る

・英語を学ぶ

 

全部素敵な内容だったのだけれど、その中でも「そうそうそうそう!そうなんですよね!(でも忘れてしまうときもあるなあ)」「これ大事だなあ、これからやろう」っていう感じの、特に強く印象に残ったやつを書き留めた。大事だな〜これもうやってるな〜これからも意識せずともできるだろうな〜っていうのは、また本を読んだときに再確認できれば良いかな。もしも、この気持ち(行動)忘れてた!ってなったら、そのときに書けば良いや。ね。

 

 

あたしは甘えるのが好きだ

 

家族に対しても、誰に対しても、うまく甘えられなかった。社会人一年目までは。

 

社会人一年目。あたしはある教員に騙されて(とは言っても、私にも進んで騙されてしまったようなところはあるので、反省。)色々辛い思いをしてしまったのだけれど、彼に出会えて良かったことの1つとしてあげられるのは、人に甘えられるようになったことだ。

 

現在は、主に、家族に甘えている。家族に甘えられるようになったので、彼氏に甘えるのも出来ると思うのだ。それが私には楽しみでしょうがない。次に彼氏が出来たら、楽しく戯れたり甘えあったりしたい。想像するだけで胸が弾む。

 

彼はいっつも彼女(私じゃない方の彼女)に甘えてた。もちろん私にも甘えてた。家族にも甘えてるみたいだった。上司にも先輩にも甘えてた。

 

にゃんにゃん言ったり(湾曲表現じゃなくて、本当に言葉として、「にゃんにゃん」って言う)、語尾に〜なりってつけたり、ラインも抜かりなくかわいかったり。ハートがべたべた、かわいい言葉遣い。赤ちゃんみたいに。猫ちゃんみたいに。

 

そういう思いっきり甘えるっていうのが私には出来なかったから、新鮮だった。わがままを言ったり愚痴をぶつけたりするような可愛げのない甘えはあったくせに、そういう甘えは出来ていなくって、最初は勇気がいったけれどしばらくしたらむしろ、やらなかった自分があほに見えるようになった。

 

ストレスも減る。楽しい。絆も深まる。

なんて素敵!あたしは甘えるのが好きだ。

2016年の手帳を見返す

 

見返して見ると、すっごく良い1年だったと思う。美しい思い出たち。

 

私はいま、「もし僕がいま25歳なら、こんな50のやりたいことがある」という本を読んでいる。じっくりと。

 

読んでいて、うんうんそうだよねと思うこともあるし、ああこれはやってみようと思うこともある。彼にとってすごく良い読者であると思う。

 

まだ半分ぐらいしか読んでいないけれど、「毎日新しいことをする」「なんでもベストテンをつくる」「やりたいことを考える(やりたくないことを考える。自分の軸や枠をつくる)」というのはこれからやってみようと思う。メモをとる、呼ばれる人になるというのも。

 

いつか本を出そうと思っていて、一時期はおばあちゃんになってから本を出そうと思っていた。これっていま考えると現実逃避的なものだったと思う。いっぱい書きたいものを思っておいて、それでまとめてドカーンと書くの、書きたいものや感情って変化するからそれが落ち着いたら、などと言っていたけれど。そうではなくて今しか書けないものがあるのだから、書きたいときにじゃんじゃん書いたほうが良いと思う。

 

江國香織さんの本を読んで、私も家族について書いてみようかなと思った。「わたしたち」だとか「あたしたち」という題名で。あるいは、学校のこととか。

 

自己啓発本を書くのであればそれこそ、おばあちゃんにならないとまとまらないかもしれない。あるいはおばあちゃんになる前に、誰かからお願いされると良いんだけど。意外と私の放つ言葉は評判が良いのだ。友人から。

 

実家に帰ってから、やりたいことがむくむく浮かんでくる。洋服やものの断捨離とか、占いのまとめとか、読者とか、英語の学習とか、脱毛サロンに行くこととか。どんどんやっていこう。

 

 

クリスマスイブには、すっごく幸せそうに眠っていたらしい

 

サンタさんのプレゼントにワクワクしながら弟と一緒に階段を駆け上がったことや(私たちの寝室は二階で、あんなにワクワクして眠るのに起きると忘れて下に降りてしまうのだ。そして「プレゼントあった?」の言葉でハッとして、ワクワクをこらえきれずに笑いながら階段を駆け上がる)、お父さんとお母さんが「普通に買ってくれるプレゼント」と「サプライズで買って部屋に隠しておいてくれるプレゼント」を用意してくれてなおかつサンタさんからもプレゼントがあったこと(なんて素敵なクリスマス!)なんかを家族と話して、眠った日。

 

私が家族を大切に思い、この家族に生まれて良かった、私もいつかこんな家族をつくりたいと思った夜。お母さんのご馳走を食べ、たくさん話した、久々の4人でのクリスマス。

 

私はこの日、本当に気持ちよさそうに、幸せそうに眠っていたらしい。確かにぐっすり眠っていた。電気をつけっぱなしで。

 

お母さんはそんな私の顔を見て、あら?これはたぬきねいり?と思って(あまりにも気持ち良さそうに寝ていて、こんなに素敵に眠れるものかしら?と思ったらしい。)、プレゼントを置くのをいったん諦めたらしい。プレゼントを置くのを待っているのでは?眠ったふりをして待っているのでは?と。

 

確かに私は本当に満ち足りた気持ちで眠っていたけれど、プレゼントなんて全然期待していなかった。一緒に過ごせるだけで最高のクリスマスだった。一緒に過ごすのも食事をするのも話すのも楽しくて、最高。うちはそういう家族だ。

 

そう、朝起きると、今年もサンタさんからプレゼントがあった。ええ!と思った。ありがとう。

 

 

わたしも、素敵なサンタさんになろう。

コミュニケーションや人間関係を学ぶ

 

上記代名について、学生の頃はあんまり意識したことなかったなと思う。学問的なものは別にして。(私の大学時代の専門はコミュニケーション学だったし)

 

自分自身の人間関係やコミュニケーションが特に変化しているとか向上しているとか思うことってなかったのだけれど、ここ数年そう思うようになった。

 

中学生や高校生の頃は、誰とでも仲良くしたい時期。大学生の頃は、みんな最高!感謝!な時期。ずっとずっと人間が好きで、好かれていたくて、生きていたと思う。みんなから、また会いたいと思ってもらえるように、相手に合わせる自分でいようと思ってた。結局自信がなくて、ペラペラの自分が目立ってた。

 

最近は、誰とでも仲良くしたいとは思わない。誰にでも好かれたいとも思わない。私の魅力をそのまま伝えて、お互いに尊敬しあえる関係でいたい。気を使い過ぎたくない。一緒にいて楽しい人と一緒に過ごしたい。

 

個性的なのも(そう言われるのも)気にならない。昔は独特な自分を隠そうとしていたけれど、そういう自分が好きになった。

 

服装も、昔は他の子の服やキラキラしたガーリーな服を着た女の子を見ると羨ましくなったり自分の服が恥ずかしくなったものだけれど、いまは着たい服を着ている自分が一番素敵だと思う。それが多少、個性的な服であっても。

 

そういう自分になったので、コミュニケーションや人間関係も良い方向に変化している。

コミュニケーションでもペラペラへらへらしていないし、人間関係も悪いと判断したものは断捨離している。だから、楽しいものだけ、きらきらしたものだけが残る。大切なもの、大事にしたいものが。

 

おもしろい日々、楽しみに思える日々が私を待っていることが幸せだ。いままでは予定がぎちぎちに詰まっていて、それなのになかなかワクワクできないこともあった。予定に追われて、そんな自分にステータスを感じていたもので、なかなかやめられなかったけれど、もうやめた。良かった。

 

ここまで来るのに、本当に回り道したと思う。回り道でなくて、必要な困難だったのかもしれない。人間関係を知り、学び、相手を大切にするための。もしかしたら、まだ私の域まで来れていない人はたくさんいるのかも。あるいは、別にここまで来ることを望んでいない人もいるのかも。

 

私は私らしく生きるっていうことがあんまり分からず、いろんなものに影響を受けて(それは良くも悪くも)生きてきた。これからは私らしく生きるってことを大切にしつつ、いろんなものに良い刺激をもらって私のための人生を生きていこうと思う。

 

 

そのとき、そのとき

 

そのときそのときの感情って違うから、その感情に素直になるのが良い。

 

好きだと思ったら行動する。

食べたいと思ったら食べる。

嫌だと思ったらやめる。

 

感情はどんどん変化するものだし、その感情を無視するのはもったいないなと思うようになった。

コントロールするのも大事なときもあるけどね。まあこれについては経験でコントロールする。コントロールしたほうが良いときはコントロールして、しなくても良さそうなときは感情のまま突き進んでみる。

 

 

家族と過ごしているときの私

 

家族と過ごしているときの私って、良い顔してると思う。楽しいし、ありのままでいる感じ。いままではなかなか恥ずかしかったけど、いろんな要素のおかげで(私の反抗期が薄れたとか、ままもぱぱも弟も私も年を重ねたとか、大人になったとか、いろいろ。)どんどん素敵な家族になっていっていると思う。

 

家族って素敵だな。こういう家族を私もつくりたいな。あったかい家庭、優しくて幸せな家庭。

 

すごく素敵なクリスマスを過ごしました。🎅🎄

お腹がいっぱいです…。

 

そういえば気付いたのだけれど、私の顔が大人になった。(ある意味では、老けた。年を重ねた。)もう高校生には見えないや。それに、なんだか自分の顔への嫌悪みたいなのが無くなった。かわいくなりたいとかそういうの、思わなくなった。もともとこういう顔になりたい、とかそういうのは薄めだったけども。自分の顔に満足というのか慣れたというのか。悪くないじゃん!って思えるようになった。自分の顔を好きになれたってやつなのかな?

 

堂々と内側から輝いてる人が理想。体も顔も、自信に満ち溢れた綺麗な人でいたい。自分自身の魅力を出したい。自分の雰囲気を持ちたい。