文字にしておくと、分かる

 

どれだけ私が追い込まれていたか……

その当時は分からなくても、これが当たり前、寧ろこの環境に感謝しなければと思っていても。

 

社会人1年目、ニュージーランドの留学からよく考えたらメンタルやられていたのに、そこから復活しきれないまま始まってしまった。

もしかしたら、その前からちょっと疲れ気味だだったかもしれないけれど、疲れていながらも割とイベントにも飲み会にも授業、友達とのいろいろにも参加してたから、やっぱりニュージーランド留学の経験が精神的にきつかったかなと思う。

 

私は基本的に、環境にも自分の選択にも愛を持っていて、どんな人生でも肯定できるように、どんな選択でも正解だったと胸をはれるように、そんな風に生きようと思っているし、体現していると思う。でも、社会人1年目。ちょっと振り返ってみると、社会人1年目の内容だけは肯定しきれないと思う。

 

中学校2年生のとき、生意気にも、「これで人間との付き合い方は大体分かった、世の中には裏と表がある。」と悟りをひらいた。でも、社会人になって、私が知らない世界や価値観もたくさんあって、必ずしも私は大切にされないということが分かった。いままでは愛されてすくすく育ってきたんだな〜……と、皮肉なことに、大切にされなかった経験から気付いた。

 

それでも、お酒を奢ってくれたりラーメンやうどん、夕食を食べさせてくれたり、そういう先輩たちだった。私の下の名前をよび、優しいときは優しく、おもしろいことを言っていろいろ笑わせてくれた。よく触られたけれど、それも別に嫌じゃなかった……なんでだろう?ある意味で防衛反応だったのかな。

 

でも、正直、仕事は自転車操業のようにギリギリで、余裕がないせいで質問は許されず、私ももうベテランのよーに仕事を任され、辞めると言ったら急に更に精神的に仕事がきつくなり、最後のひと月は職員室にいるのが辛かった。ある上司とは会話をするだけで、話しかけられるだけで涙が出てくるようになってしまった、それでも仕事はやりきった。涙が出てくるけれど、仕事か終わらないからやるしかなくて、書類に涙をつけないよーにねなんて言われながら、頑張っていた。必死で。

 

そう、辞める……そのせいで、仕事量というより先輩たちのキツさが、被害妄想かもしれないけれどどんどんじわじわ私を蝕んでいった。でも、辞めるんだからしょーがないなんて思っていたけれど、ほかの世界の話を聴くと、全然違って、私の世界がおかしかったみたいだ。

 

そんなこんなで書いていた文章は、まあ読めば分かるけれど支離滅裂で、辛いのを必死に隠そうとしながら書いたよーな文章だった。大学や高校の同期、先輩からたくさん「いいね」とコメントをもらって、そのあとも会うと「あの記事読んだよ、大丈夫?」と言われた。私は、きょとんとしてしまった。必死に隠していたのにどうしてかな?と。(そもそも隠しているつもりもなく、私は元気!頑張っているよ!辛くないよ!というのを全面に出したつもりだった。いまなら強がりだと分かるけれど)

だから、会話でもまた強がって返してしまったけれど……。

 

考えてみると、あの1年間のせいで一旦私らしく、愛をもって積み上げたものを、また一から積み上げることになってしまった。容姿も、内面も、精神的、身体的、健康面も全部、自分を作り直さなきゃいけなかった。考え直して、つくりあげて、自分のことを考えて。でも、それは唯一良かったことだと思う。あんなにボロボロにならなくても、ごまかしごまかし進化できる人もいるし、むしろもっとうまくやれる人だってたくさんいる。でも私にとっては、あれくらいガツンとこなければ、その後の人生をより良くしていくことはできなかっただろう。

 

……あ、それだったら、良かったな。

 

あの頃書いた文章は、一応残ってる。


お仕事は、高校教師なわけですが、楽しいです。泣くこと増えたけど、注意されるけど、怒鳴られたこともあるけど、忙しいし、大変なこともあるけど、悩むこともあるけど、悔しいこともあるけど、周りの先生に恵まれ、叱咤激励されつつ、楽しくやっております。まああいかわらず、よく笑ってると思う。ちなみに1年生の担任もってるよ。愛しいよ。生徒のこと大好きだよ。愛しいからこそ注意できるのね。教員って楽しいよ。おもしろいよ。

 


昨年は簡単にいうと、濃い1年でした〜〜〜。楽しく生きていましたが、日記とかツイッターとか見返すと色々考えたり悩んだりしていたのね、って感じです。体調崩したこともあったし。

 


とりあえず、振り返ってみると(多分途中で面倒になってはしょるけど)、1月の卒業研究発表では、すごくやりきった感じともう少し研究したいって思いがありました。で、2月は忙しかった、台湾行って引っ越しして、それからニュージーランドへの留学。

 


でですね、あんまりこれ他の人に言えてなかったんですが、ニュージーランドで、すっごくすっごくすっごく苦労した。帰りたい!!!ってなった。帰らせてくれーーー!!!辛い!!!死ぬううう!!!!っていう経験になった。これ言うの、なんか悔しい?感じがして、あんまり言えなかったんですけどね。だってあんなにすごいお金払って、こんなに苦しい思いするのってどーなの??なんかかっこわるくない??自分で選んだくせに泣き言言うなんてどーなの、なんて思っちゃって。

そう思うんだけど、ホストファミリーとうまくいかないし、留学だって海外研修だって海外旅行だってしてるのに、そこらへんでは結構うまくやれてたのに(って書いちゃうところがまたプライド高いよな〜と思うけど)、ここまでうまくいかないの初めてで、苦しいよう助けてよう、ってなって結構、というかかなり、性格変わっちゃってた。だからそのときのツイッター(裏)は、かなり荒れてる。英語で荒れてるので最悪。もう読みたくない。酷い。もうやだ、あの頃の自分ってば。

 


で、3月に帰国。肌がめちゃくちゃ荒れてた。家族がびっくりした。今までで一番酷かったかもしれない。しれないっていうのは、帰国するまで余裕なくて、あんまり自分のこと気にかけれてなかったもんで、分かってなかったんだよね。いやーーー、ニュージーランドでストレスめちゃくちゃ感じてたからね!!!!!!最後の1週間はわりと良い感じで過ごしたけど、それでも。そのまま卒業式だったので、写真が・・・なんだか残念だったし、肌あれはなかなか治らず、今やっと、やーーーっと良くなってきてる感じ。まぁ仕事始まって、仕事も最初から楽しいは楽しかったんだけど、思うようにいかないこととか多くて、やっぱり4月からも、またニュージーランドとは違うストレスを感じてたんだろうな、と思います。結構早い段階で「慣れた!!!!」って思ってたんだけど、いや・・・慣れてなかったね。結局、慣れたのって11月とか12月くらいじゃないの??って思います。今考えると。つい最近だ。

 


4月5月は、知らないことばかりで、それがストレスでした。分からなくてもやらねばならず、聞くことばっかりで、つまずきながら必死で走ってる感じだった。いつのまにか、その感覚は無くなっていたけど。今振り返るとこわいけどね。よくなにも分からずやってたもんだな!って感じ。今はあの頃よりは生徒もみれてるし、考えられてる・・・かも。なんて言ったらずうずうしいかなぁ。まあ、充実してるよ。仕事充だよ。

 


さて、他にも色々、仕事や将来のことに関して、今までの思い出に関して、もっと語りたいところですが、それはまた次の機会に。というか会ったときに話します。だって、もうお酒抜けてきちゃった(笑)もう書くのや〜めたっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!おやすみなさい。次は、もっと素敵な文章を書きます。

 

そう、もっと素敵な文章を書いていきたい。こんな必死で余裕がない文章でなくて……。