この感じが永遠に続けばいい

 

社会人として、仕事もおもしろくなってきて(もちろん浮き沈みはあるけれど)、大学院で始まった授業や交友関係も良くて、今日のイベントもすごく楽しくて。

 

こういう感じ、この相乗効果が永遠に続いたら良い。すぐに終わってしまいそうな、修士1年目を大事にしたいと思った。なんだか充実感にあふれているからこそ、こうやって冷静に文字にしていくと、今の時間が限りあるものでいつか終わってしまうことを考えてしまって寂しくて。そう、余計な未来のことを考えて悲観してしまう。でもきっとそんな悲観することなんてないんだ。予想外に楽しい時間が、いつの時代であっても、もらえるよーにできているんだ。と思う。自分が、自分の人生の主人公だってことをちゃんと分かっていれば。

 

私は今の状態の自分が好きだ。健康で、家族のことが好きで、大学院に通っていて、仕事も順調で、これからもこういう自分でいたい。久しぶりの全能感。ただ、あの頃のような興奮する全能感でなく、浮き足立つ感じでもなく、なんていうんだろう。静かに想いを燃やしている。

 

 

自分の匂いと顔

今週のお題「カバンの中身」

 

私にはわりとテキトーなところがある。基本的に大雑把なんだと思う。いまは、特に仕事上では適度に細かさを見せているつもりだけれど、別に良いじゃんってなんとなく思っちゃうところがあって、最初の頃はそれで支障が出ることもあった。そんな私だけれど、カバンの中に絶対入れているものが2つある。なぜか私はカバンの中身って少なめがかっこいいと思っていて、基本的にギリギリまで荷物を減らすんだけど、この2つだけは入れている。ただ、その理由はわりと悲しめの理由だったりする。

 

 

わたしには人一倍気にしていることがあって、それは自分の匂いと顔の皮膚の状態だ。(鼻毛とか歯の歯垢とかそういうのも気になるけど、中学校時代よりはその気になる度はマシになって生きやすくなったから、まあここでは置いておく。)なんだか気になり過ぎて一時期結構きつかった……。でも、それでも匂いと皮膚の状態には敏感でありたいと思う。

 

 

自分の匂いっていうのは、脇とか足とか口臭とか。脇は1日2回は消臭するし、足のために靴はなるべく日ごとに変えるようにしてるし、口臭も脇も気になり過ぎてたまに確認しちゃう……。でもいつの時か、もしかして相手に確認してることバレてる?って思ったら恥ずかしくなって、最近はやめてるけども。そういうのやってきたからか、他人がそういうの気にしてるときってすごい分かる。分かった気になってるだけかもしれないけど、とりあえず、あ、と思ってる。

 

 

顔については先日の記事でも触れたよーに、コンプレックスからきてる。にきびの頃はテカリも酷かったから。いまはだいぶ落ち着いたけれど、それどもテカリには敏感で。職場のトイレに入ったときにこっそりティッシュオフならぬトイレットペーパーオフ?をしたりしている。

 

 

そんな私の必需品は、具体的に言うと……

①メイド オブ オーガニクス DE ロールオン EX ホワイライト NF (スキンローション)

②無印の、紙おしろい オークル

 

 

①は言わずもがな、消臭。色々な会社の消臭スプレーやAGやなんかのロールオンやその他もろもろも使ったけれど、消臭効果が薄かったり、気になってぬればぬるほど肌が荒れたり。そういう中でやっとたどり着いたので、本当におすすめできるし(友達とはこういう話題にならないから、別におすすめしたことないけど)、絶対かばんに入れている。

 

 

②ファンデーションやお粉の持ち運びをしなくてすむよーになったから、本当に楽になった!コンパクトだし、油吸ってくれて粉もついてくれるから、完璧。絶対かばんに入れてる。

 

 

上記の2つについては、結婚式とかパーティとかの小さいバックを持ち歩かないといけない場面でも絶対、無理やりにでも入れる。そして、仕事で行事中だとしても(わりと動く場面でも)小さいバックに入れて持ち歩く。

 

 

てなわけで!カバンの中身について書きました。おやすみなさい。

 

 

皮膚の経過観察

 

 

ほんと余計なお世話って思われるかもしれないけれど、ニキビに悩んでいる誰かの励みになるんじゃないかと思って書く。私は、「コンプレックスなんだよね」って言えないくらい、自分の肌がコンプレックスだったから。私にとっては、本当のコンプレックスなんて自分で口にできないくらいの悩みだった、「あー(だよね)」なんて思われるのも返されるのも嫌だし、かといって「そんなことないよー」ってフォローされるのも嫌で、誰にも言えなかった。でも、だんだん良くなってきたよ、こんな私でも、という内容です。

 

 

本当、10年以上悩んだ。

 

 

1つ治ると2つできるんだもん。治りきってないうちに次のができるから、顔が赤かったり赤黒かったりしてた。ぼこぼこなのは当たり前。

 

 

家族ですら話題にできないくらい酷くて(肌の状態が悪くて。それに、私がその話題になると本当に不機嫌になるから気を使われていた…)。

でも、そのとき、経過観察用って思ってヤケクソで撮った写真が残ってる。ウワーーって感じだけど。撮った写真を自分のフォルダに入れておくのが辛くて、でもなんとなく見返すときがくるんじゃないかと期待して(ほら、良くなったときに。こんな酷かったけど今では〜みたいな。)、とっておいたんだ。残ってたのも結構ひどいけど、もっと、これよりもひどいときもあったよ。これは多分、ファンデーションも塗ってるけれど、こんな感じ。

 

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肌トラブル(主にニキビ。乾燥で肌が剥がれちゃうことも…)に悩まされて、早12年。最近やっと、落ち着いてきているし1つ2つ出来ても動じなくなった。なんとなく、治る見込みがあるのと「あー、まあできるよね」ってタイミングが分かってきたのが理由。生理前とか、食べ過ぎてるときとか、忙しくてストレスかかってるときとかね。

 

 

ニキビ痕は残ってるけど、赤くて痛いニキビに悩まされていたあの頃を思えば全然良い。ひどいときには顎にいっぱいできて輪郭が変わってたり、赤色が顔を埋めていたり、手で顔を触るとどこもかしこもぼこぼこしていたり、ファンデーションで隠せないよーな盛り上がりのニキビがいっぱいだったりした。

 

 

結構前の記事にも書いたけれど、私の顔ってほんと、特徴的な顔みたいなのでさっきの画像と同じくらいになるべくスタンプで隠す。最近の私。

 

 

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悩みやストレスが軽減されたせいもあって、心なしか顔つき、目つきも変わったと思う。私の肌トラブルは中2のストレスから始まって、大学で少しおさまって、最後の留学で再発、そこから社会人3年目までは苦しんだかな…。まあ社会人3年目夏からは徐々に回復してきたけれど、それでもやっぱり気にはなる感じだった。

 

 

いまでもポツポツできるけれど、まあまあ対処しやすくなった。

 

 

私のニキビって、男性っぽいやつだから、わりとつけるとヒリヒリしちゃうよーな化粧水とか、そういうシリーズがあってるみたい。

①アクネバリア 薬用プロテクトローション

②メンズアクネバリア 薬用スポッツ

③アクネバリア薬用プロテクトメイククリアN

④アクネバリア薬用プロテクトウォッシュ

 

 

たまに、肌に優しい〜、オーガニック〜、みたいなものもつけるけれど、しばらくそれにしちゃうとやっぱりニキビが出てきちゃうので。しぶといやつなので。①〜④が私の必需品。感覚的には1日〜2日なら良いけれど、3日以上浮気しちゃうとだめかな。またトラブルになる。

 

 

ニキビの原因はストレスと便秘と油と小麦のとりすぎだったかな。ストレスは溜めないほーがそりゃ良いけれど、そこらへんは留学だったり仕事だったりで大変だったからしょーがないとして。……って言いたいところだけれど、ちょっと考えなしだったり、頑張りすぎだったり、かっこつけよーとしたり、人や自分に厳しすぎたり、極端だったりしたことは事実。だから、環境のせいだけにしたいところだけれど、自分の考え方や人や自分との接し方にも問題があったと思う。自分のこと、過信してるところもよく分かってないところもあったからね。

 

 

便秘については……便秘になるよーな食べ物が好きだったのと、どんなときでもおなら我慢して生きていたのと、家以外で大便をできなかったのと……。いまは、うん、大丈夫(笑)。たくましくなったものです。

 

 

そして、油とか小麦とかはとりすぎだったし、依存するみたいに食べていたから、太ったしニキビになったんだと思う。食べるのがストレス解消になっていたのと、小麦と油に甘えてた。実際いま、当時はまっていたものを食べてみても、あんまり美味しいって思えないんだよね。コンビニのパンとかあまったるいお菓子とか。なんなんだろーね。カロリー依存?あんまり最近、そういうもの食べたくならないんだよね。例えばスタバもそう。ケーキも。パンケーキとかパンとかも。なんなんだろう、食の好みが変わったといえばそれまでなんだけど。

 

 

でも、別にニキビに悩んでいる人が過去の私みたいな生活しているわけじゃないと思うので、これを読んで不快になった人は閉じてください。これはただただ私の場合。すっごい油やら小麦やらをとってストレス解消して、でもそれがニキビになって出てくるからまたストレスで……。辛かったな……。

 

 

これからも健康的に、自分を大切に、生きていこうと思います。そういえば、第二次ニキビ戦争時代(社会人)、あのニキビをくっつけたままデートしてた日々を思い出すと……よくあんな顔で行けていたな〜と思うけれど、誘うほうもよく誘ってくれてたよな〜。そりゃ人は外見だけじゃないかもしれないけれど、あの頃の私は外見に気を使う余裕が無かったし、性格も今よりきつかったと思うけど。でもまあそういうときって不思議と自分と同じレベルの人と会うことになるから……失礼なから、まあそういうことなんだろう。

 

 

そんなことを考えながら、今よりも素敵な明日を夢見て、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

すぴりちゅあるな話、

 

なんと、「まだ」不倫をしているんだって。私の友人Mちゃん。

 

 

一時期、私の周りは不倫経験者、浮気経験者ばっかりだった。そういうときって私自身もなんだかヨゴレ役みたいな恋愛している。類は友を呼ぶ、これは価値観とか空気感とかの話だけじゃなくて、そういう説明し難いようなことも含めて表現できているすごい諺だと思う。

 

 

でもね、暗黙のルールを守れなくなるのって、だめだよ。当たり前だけど生活がだめになる。そうなると、語集が少ない感じで表現しちゃうけれど、もう、全然だめだねー。あと、ひどい言い方になるけれど、だめな人たちといるとだめになる。特に自分が揺らいでいるときは。まあ、こんな言い方してると人のせいにしてるよーだけれど、それは違くて。だめな人たちといて益々だめになるのって、諸々含めて自分のせいなんだ。だって、自分が揺らいでいなければ、そういう人たちといたって大丈夫なんだから。だから、まあ、そういう人たちとは健康なときに会えば良いんだ。……でも、自分が揺らいでいないときは、そーゆー子たちと一緒にいても楽しくなかったりする。難しいような単純なような。

 

 

話を戻すね。

 

 

しばらく会っていなかったあいだに、Mちゃんてば、当時の不倫相手と別れて、元カレとよりを戻して、でもその元カレには満足し切れなくて、また違う人と不倫しているらしー。正直、2〜3年前に会ったときは、まあ若いうちの浮気や不倫は予防接種なんて言うしね…と大人ぶって(今思うと全然大人じゃないけど)思ってた。分かってるよ、みたいな自分を出してた。若気の至りっていう便利な言葉を、あとから当てはめてあげれば良いだろ、って。まあもちろん悪いことだけれど、恋愛なんて本人の自由。悪いことだってこと、本人も知ってるだろーし。

 

 

でも、もう私たちも26歳、友人の結婚式に集まって、それが久々の再会で、50歳近いおじさんと不倫してるって、なんだそれ。ちょっと聞いてらんない。しかも、同じ職場の人だって、不倫相手。どっちも。ウーーン

 

 

いままで、綺麗なものにばっかり囲まれて育ってきたぶん、その反動か、キタナイものに憧れる。そういうのってあると思う。私もあった。でも、もう、この歳になって、そういうの……ちょっと下品なのでは?

 

 

すぴりちゅある…とはまた違うのかもしれないけれど、それ以外に説明しにくいので、すぴりちゅある的な話として書く。こういうとき、よしもとばななさんなら、美しく、神秘的に表現するんだろーけど。私にはまず、ただひたすらごちゃごちゃ書くことしか出来ない。

つまり、、そういう下品なことをしているMちゃんの顔は、かわいくなくなってきたんだ。もともとある芸能人に似ているよーな、かわいい感じの子だったのに、所作や心が顔に出ているのか、それともおじさんと不倫しているからなのか、なんとなく老けて、なんとなく下品な顔になっていた。……ウーーン

たくさん撮った写真の中でMちゃんは笑っているけれど。

 

 

性格は顔にでる、とか、ある程度歳を重ねたら自分の顔は自分の責任になる、とか、そういう話を聞いたことある。

確証のない話、感覚の話だけれど、写真を見返していて、Mちゃんについてはちょっと、悲しく思ってしまったよ。沼の中で停滞しているように見えたから。私も気を付けよう、不倫も浮気もしたことないつもりだけれど、そういうのだって自分の都合で肯定していた時期があったわけだから。

 

 

あんまり会わなくなっちゃったMちゃんだから、まあ正直どうでも良いのもあって、てきとーに囃し立てて終わってしまったけれど、心の中ではウワーー!アナタまだそんなことやってるの……!と思っていた。Mちゃんは得意げに、恥ずかしげもなく話していたけれど、良いな〜なんてひとつも思わなかった。というか、そういう話をペラペラ話しちゃう時点で、もう感覚が麻痺してるんだと思う。

 

 

誰かを傷付けながら調子にのったり、誰かの上にのるような自慢をしたり、そういうのを恥ずかしく思わないような、、そんなところにいるなら、私はMちゃんを置いていきます。

 

 

やっぱり言動は顔にあらわれるんだ……。私はこれからも幸せに、丁寧にいきていこう。

 

 

Mちゃん、さようなら。私は私の世界のルールを守れる人たちと一緒に生きていきます。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと病んでる曲に引きずられなくなった

今週のお題「わたしの春うた」

 

今よく聞いているのは「あいみょん」。明るく病んでる曲だと思う。わがままでかわいい。私も過去ああいう存在だったと思いたいけれど、もう少しかっこ悪くて重たかったかもしれない。強がっていたし痛々しかったと思う。

 

 

「ふたりの世界」「貴方解剖純愛歌〜死ね〜」「愛を伝えたいだとか」を何回も何回も聞いている。「分かるゥ」って気持ちじゃなくて、フィクションのような、一線をおいて、かわいいと思って聞けている。これは曲に引きずられていないってことだと思う。

 

 

曲に引きずられているのか、それとも私が曲に勝手についていっていたのか、それは判断できないけれど、そういう時期もあった。

例えば、クリープハイプ。例えば、back number。こんなこと言ったらあれだけど、この人たちの曲ってちょっとナヨナヨしてるでしょ?メンタルやられがちな感じがしてるでしょ?その曲に引っ張られて、なんだかよく分からないことしてた。でももちろんそれは曲が歌詞が悪いって言っているんじゃないよ。そもそもその曲に引っ張られていたんじゃなくて、その曲に酔うことによって、自分のことを正当化していたというような、曲と自分、なんとなく病んでいたり可愛そうだったりする自分に酔っていたんだと思う。

 

 

そういうニオイって顔にもなんとなく出てきて、自分で見ると分かるけれど、その時期の写真って不健康な顔してる。肌荒れもそうだけれど、それを抜きにしてもなんとなくおかしな顔してる。あんまり見たくない。浮腫んでいたり、目つきがおかしかったり、不幸せそう……そう、不幸なオーラが出ている。

 

 

あの頃の私は、不幸な歌詞の中(クリープハイプやback numberは自分たちの曲で不幸を表現しているなんて思っていないんだろーけど)に浸って、そんな自分を肯定してた。もしかしたらそういうのが似合って、独特の幸せを表現できる人もいるんだろーけど、実際そういう人も想像できるし、でも私には向いていなかったみたいだ。そういう、不幸な幸せを持てる人って、そういうの向いている人にしか無理だと思う。儚げな幸せ感。私はそういうの向いていないからこそ、惹かれたのかもしれないね。だからちょっと病んでる(この表現があっているか分からないけれど)曲に尋常じゃなく惹かれてた。歌詞を、ノンフィクションの世界にしてた。

 

 

今の私もクリープハイプやback numberを思い出したよーに聞くけれど、あの高揚するような不幸さは、私にとってはちゃんとフィクションだって分かってる。好きな気持ちと、その歌詞に自分を投影するのは違うんだと。

 

 

まあ歌に関しては割と広々と好きで雑食なのもあって、今もどんどん新しい曲を、キラキラしたのもどろどろした感じのも聞くけれど、どこまでも共感するみたいな、歌詞の危うさに飲み込まれるみたいな、そういう感じでは聞かなくなった。

 

 

好きだ!はまる!という感覚はある。聞いてて泣いちゃいそうになるくらい、心が震えるくらい好きだ!と、びびっとくることはあるけれど、どんどん暗ーい場所にはいっていくような、しかも気付かないうちにひたひた浸っていくような、そういうのは無くなった。

 

 

良かった。

 

 

だから、今の私にとってはどんな歌も「わたしの春うた」になる。好きな歌は全部、私を輝かせて、人生の主役にしてくれる。私の背中を押してくれる。ここまでこれて良かった。

嫌いだったおじさんを好きに戻れた

 

嫌だ嫌だと思いながら接して、でもいつもなんとなくヘラヘラ誤魔化して、休みで会わなくなるとなんとなく気持ちも収まって、でも会うとやっぱり嫌になって……良いところもあるんだけどやっぱり三年も一緒にいると嫌なところや嫌な癖も見えてくる。そんなおじさん。今までも散々、この場でけちょんけちょんに言ってきた、おじさん。そのおじさんを実は今は嫌いじゃないし、パートナーとして頑張ろうと思ってる。改めて、ついていこう、私も頑張ろうと思えている。

 

解決してみてきづいた。一番の問題はやっぱりこのおじさんだったんだ。今までの他の問題がちっぼけに思える。これは、ほかの要因(大学院だとか、仕事にやる気があるとか、慣れてきたとか、そういうこと)もあるだろうけれど。

 

職員室でおじさんに軽く嫌味を言ったら、教室に移動することになって、それで、1時間以上話した。ぐちぐち言ったし、失礼なことも言ったし、私の本音も言ったし、全部吐き出した。おじさん大丈夫かな?って心配になるくらい。おじさんも本気で返してきて、でもなんかうまくお互い通じあわなくて、ぐちゃぐちゃになった。嫌になって切り上げようとしたら、おじさんが粘ってくれて。……まあ、それに対しても最初は、めんどくさ!話通じないな!うざ!!!って思ったけれど、今思うとああいうのが大事なんだな、と思う。悲しいかな、あるいは当たり前かもしれないけれど、私は他人とあそこまで言い合ったことは無かったと思う。例えば一方的に言ったことはあったけれど、それに対して本気で返してくれる人はいなかったし、返されそうになったら逃げていた。

 

私は今まで、あんなに拗れたり面倒になったり汚くなったようなコミュニケーションを最後まで責任とれたことがなかったし、向き合ってくれる他人もいなかったと思う。いつも最後は我慢したり逃げたりして、根本的な解決に至ってなかった。……今回も話し合いとしての根本的な解決はされたかっていうと、されてないかもしれないんだけど。でも、私の気持ちはスッキリして、おじさんのことを好きになれた。だから仕事はすごく気持ち良くできるようになった。それが一番の良いことだと思う。その喧嘩のあとに、おじさんとまた2人で居酒屋みたいなところ行って、だらだら喋って、解散した。あんな言い合いしたあと、よく誘ってくれるよな、とも思ったけど、誘ってもらえて良かった。上から目線になっちゃうけど、おじさん、だてに年取ってないな、と思った。よく結婚できたよな、相手若いらしーし、騙されたんじゃないの?と思っていたけれど、結婚できた理由が分かった気がした。……私って本当に失礼だね。でも本音。本当、結婚できた奥さんは幸せだねって思うくらいまでいった。ちゃんと向かい合ってくれるおじさん、まあ途中からお互い言いたい放題になっちゃったけどさ、ありがとう。教員としても、人間としても。

 

さて、そんなこんなでその喧嘩のあとから絶好調な感じ。新しいクラスも、まあまあ慣れてきたせいか前よりは全然大変じゃないし、嫌じゃないし、緊張も少ないし、嬉しい。上司からもらった「仕事は2割」っていう考え方が効いてるのかもしれないけど、仕事が嫌じゃないし、準備も嫌じゃなくなった。大学院もまだ始まったばかりだけれど楽しい。

 

仕事もプライベートもその中間も、良い感じ。久々の全能感。これを大切にしていきたい。そう思って記す。

 

 

 

 

やっぱり、地元には帰らない

 

私はこっちで生きていく。

こっちに帰ってきたとき、ほっとした。いつのまにかもう東京は私の居場所になっているんだって思う。

 

もしも、東京にいられなくなったら、海外に行こう。地元が3位に転落した。

今日のメンバーと話していて、地元は自由でないと感じた。地元を愛すべき場所に変えてくれる人たち、それは血縁者と少しの親友のみである。