脳とか心とかの病気
私の友人や知人で,精神的な病気と診断されたひとは,思い出してみると結構いる。
中学校からの同級生,大学時代からの友人,後輩,職場の同僚。
私は病院に行かなかったけれど,いろいろ読んだり聞いたりしていて,あのときもしも病院に行ったら,私も診断もらえたのではないかと思うことがある。
辛い思いをしていた,いろいろ抱えていたけれど頑張ったね,と私自身をねぎらってあげたい感覚がある。
あのころの自分を抱きしめてあげたいという感覚を持ったこともある。大学生のころ,中学校二年生の私を回想していて思った。ある程度成長して,落ち着いたら,そういうふうに思うものなのかもしれない。必死だった時期のことを。
でも,社会人になってからの異常は,本当に異常であったと思う。もう済んでしまったことだけれど,たとえば私の大事な弟にはこんな思いをしてほしくないし,私自身ももうこんな思いしたくない,ちゃんと良い人生を選びたい。
たとえば,なんでもないのに職場で涙が出て止まらなかった。
車が行き交う交差点で轢かれたいと思った。
死にたいと思った。
いまの私はそんなこと思わないので。こういうふうに思うようになったら,かなり疲れているから,1日休もう。そう思えるようになったのは社会人4年目くらいかな。実際,そういうふうに思える余裕が出てきたのは良かった。
車にとびこむことは無かった。目の前で大きな事故が起こって欲しい,と他人を犠牲にしようとしたこともあった。ひどい。そんなこと願うなら,休んだほうが良い。
診断された友人は,何日も休んだけれどそれでも辛いようだった。なんとなく変だなと自分で気づけるうちに,1日休んだ方が良い。絶対に。
必死に働いていた自分のこと,褒めてあげたいけれど,ああ。いまの私が声をかけてあげられたら。とも思う。
そんなに頑張らなくて良いよ。
私が退職したあと,私がすごかったこと,褒められていること,そういう話を聞くと嬉しい。いまでも慕ってくれる仲間がいること,嬉しい。
でも,肌がぼろぼろで,家に帰るとぐったりしていた時期がある。なにも料理できなくて,無理やりシャワーをあびて,過食して,倒れるように眠っていた時期がある。洋服もジャージ以外ほとんどなにも持ってなくて。そういう時期のことを思い出すと,かわいそうになってくる。
社会人3,4年目あたりから,お風呂に入れるようになった。肌荒れが良くなってきた。ああ,良かった。頑張った。
でも,社会人1,2年目の写真を私は見れないのだ。だって,かわいそうな顔をしているから。
ああ,あんな顔で,遊んでいた自分。いろいろ思う。仕事でいっぱいいっぱいなのに,気づかないように予定を詰め込んで,誘われるがままに遊んでた自分。
私は 私は……… あのころよりは生きるのが上手になっていると思う。
良かった,あのとき,手段もなにも考えていなかったけれど,死にたいっていう欲求のまま,死ぬように生きることにならなくて良かった。
でもこれはもしかしたら,ものすごく運が良いことなのかもしれない。