存在する理由としてのドリンクバー

 

 私は飲み物の中で水が一番好きだ。だから,ドリンクバーなんて友達とそこに長居するためにしか頼まない。いくらいろんなものが,いくらでも飲めたってそれはそんなに魅力的じゃない。

 

 でも,今日はファミレスにて,ひとりだけれどドリンクバーを頼んだ。いつもはなにか終わればたいてい家に帰りたい気持ちになるのだけれど,今日は外に長居したい気分だったので。

 

 ランチはある程度時間がたったら目の前から無くなってしまうけれど,ドリンクバーはなくならない。店員さんは私の前になにかあるかどうかなんて,そんなこと気にしないかもしれないけれど。目の前になにか食べたり飲んだりするべきものがあると,安心する。帰らなくて良い理由になる。

 

 家に帰宅する前に駄文をいくつか書いておきたかったので。

 

 先日,久しぶりに友人に会ったとき,また「本当によく覚えているね」と言われた。そうなのだ。私はよく記憶しているほうらしい。あるいは,相手,他者にとってどうでも良いことを私がよく覚えているのか。

 

 私は過去の記憶に苦しむことが多かった(今ももちろんあるけど)けれど,これって他人は割と忘れているのかな。だったら別に私も苦しみ続けなくても良いのでは。と思うことができるようになったのは割と最近。社会人になってから。

 

 なるべく記憶していることを,書き留めておこうと思う。そうはいっても,私も忘れてしまうから。例えば,これはちょっと極端な例だけれど,幼いころの言語化できなかった感情が,言えるようになったりするのはおもしろい。親と答え合わせのように語り合ったり。でもせっかくおもしろく思い出して語り合ったのに,でれがなんだったか,忘れてしまったりもする。

 

 デートしていたのに名前が思い出せないとか,今は全然会えないのにあのときは毎日のように会えていたとか,全部不思議なことに感じる。あのときはあれだけ苦しんでいたのに,いまはけろっとしているとか。

 

エッセイやなにかで自分の人生を書こうと思った人はすごい。書いても書いても足りない気がする。