書くことで昇華して生きてた

 

苦しければ苦しいほど書けるのでは?

 

社会人の頃、あれだけ豊富にあった書きたいこと、それが脳に詰まって詰まって、書いては休み書いては休み、体力が追いつかず書けず、もどかしかったのに。今ではなんと脳みそがからっぽになっているようにすら感じる。

 

この学生生活、弟のいる家、自分で計画をたてる世界がなんと美しくしっかりしたものか。社会人をやって良かったことは生徒や保護者と出会えたこと、キャパが広がったこと、自分に自信がついたこと、意外と書いてみたらいろいろあるけれども、この生活は何にも代えがたい幸せな生活だ。

 

社会人になってからの学生生活だからこそ、これを感じられることも分かる。学びも研究も、計画性も。当たり前のことを当たり前にできるようになってからの学生生活だから、良かった。

 

社会人の頃の生活を文章化したい。いつか、いつかと思っていて今日になってしまった。毎日書けていたらどんなに素晴らしかったか、でも毎日書けていたらどんどん衰弱していたかもしれない。そういうことだ。毎日でいっぱいいっぱいだった。

 

鏡の中の私が良い顔をしていて嬉しいことがある。外出しなくても良いし、外出しても良いし、化粧や服装を考えても良いし、楽な格好でも良いし、すっぴんだってメガネだって良い。今はそういう生活、最初はこっちの世界に慣れるまで大変だった。早く働かなきゃ?とか、お金どうしよう?とか、生活の変化に不安になった。体が元の生活に戻りたがって不安になるのは当然のことだけれど、それは正しいときもあれば、それを乗り越えて正しい景色がみえる、そんな場合もある。私の場合は後者だった。

 

良かった。良かった。この景色がなんと美しいことか。