彼の死

 

 

教え子が死んだとき、ショックだったけれど、死んでしまったことは、忙しさに紛れていってしまうんだろうなということは感じてた。だって毎日がめまぐるしい現場にいたから。毎日どこかしらで事件があるよーな学校だから。ほんとにそうなった。もう1年くらい前のことだけど、いままで忙しさで蓋をしてたので、じわじわ蓋をずらしている。立ち止まって考えることが出来ない学校だったなと思う。それは良いことでもあり、もちろん悪いことでもあった。

 

 

 

学校関連の事故で教え子が死んで、保護者への説明会を開いて、私は教員側として後ろで聞いていたけれど、学校側の発言にも保護者への対応にも全然納得できなかった。違和感も悲しさも怒りも不甲斐なさも、いろいろ、ごちゃごちゃしてて、私の中にもいっぱい言いたいことがあるような気がしてた。

 

 

死んでしまった彼は、悪いことをしてしまうことがあった。その悪いことの頻度は、人よりも多くて、しかもばれやすかった。保護者は、彼について、もうどうしようもないって苦しんでた。うちに何とかして欲しいとすがりつくようだった。

 

 

 

だから、亡くなったとき、もしかしたら、母親は、ほっとしたのかもしれないと思った。名誉の死とまで思うんじゃないか。部活の強化練習中の死なんて。そして、これでやっと手が離れる。もしかしたら、そう思ったんじゃないか。

 

 

 

その一方で、この事件で、学校が許されるなんてことあるのか?と思った。息子が死んで、それでも原因となった学校を恨まないなんてこと、あるのか?

 

 

 

実際、母親は、どうしようもない息子を見放さずに寄り添ってくださった先生方への感謝と、息子が戻ってこない、成長を見ることが出来ない悲しみを持っているとのことだった。先生方はどうぞ、生きている子どもへ目を向けてくださいとのことだった。それがあの子への供養になります、と。

 

 

 

お母様はそう言っていた、けど、でも、私は、ある先生たちのことを、ヒト殺し、と思うことを止められなかった。

 

 

 

 

そして、私もヒト殺しになる可能性があるんだってことを思った。権力とか威圧感とか力関係とか、生徒に対してそういうものが身についてきた感覚があったからゾッとした。そういうものの先の先の先に生徒の死があるのだと感じる事故だったから。

 

 

 

 

職員室で、やっと、やっと、職員会議が開かれたとき、責任を言及する発言があって、そのとき、責任を感じてる先生、その生徒に直接声をかけた先生が泣いた。

 

 

 

 

職員会議が終わったあと、校長がその先生の肩をしっかり抱いて励ましていた。

 

 

 

 

違和感があった。違和感というか怒りに近い感情だった。生徒が亡くなったんですが、と思った。その励ましをする必要がありますか????

 

 

 

お葬式にはたくさんの彼への食べ物が置かれて、ユニフォームが飾られていて、でも、そんなもの、しらじらしいと思った。もう死んじゃってからそんなにキラキラにされてもな、と思った。

 

 

 

 

私たち教員は彼がより良く生きるために全力を尽くしたから、良い、良いなんて誰も言わないけど、そういう感じ。そういう感じ、だよね。だって私たち、いつも一生懸命だもんね。だから許されるんだよね。

 

 

 

 

ねえ。そうなのかなあ。頑張ったから良いのかなあ。ほんとに、すっごい頑張ったから。悪いことを繰り返す彼をなおそうとしてたから。向き合ってたから。

 

 

 

でも、なおそうとしてなおそうとして、そのいっかんのなかでじこがあって、かれはなくなったんだけど、それについて、いみなかったなんていいたくないから。考える。

 

 

 

物語なら意味や流れや目的や因果関係なんかがあるのに。意味や救いを見出そうとして、それが無理なことに気付いて絶望して。しょうがなくないのにしょうがないってことにしてる。しょうがないなんて言葉は使わないけど。救いや意味のない事故があることを受け止められなくて、難しくて、私はここから助けてくれと願う。

 

 

 

 

亡くなった彼を学校内で感じる、って話題になったことがある。電球がわれたことがある。電気が消えなくなったことがある。いないはずの場所で、人の気配や音がする。

 

 

 

 

それを同僚から聞いたとき、うまくいえないけど、随分、あっさりと受け止めているんだなと思った。彼が死んだことを。そんな、そういう風にはなせるような、ポップな感じにして良いの???もう???おもしろい話として搾取して良いの?

 

 

 

わたしには分からなかった。彼の未来のために一生懸命にみんな教育してたとか、彼のお母さんは私たちに感謝してるとか、そういうの、そういうの、そういうの、もういいよ。

 

 

 

亡くなった祖父は私たちを見守ってくれていると思う。そういう感覚があって、実際にそういう世界があってほしい。消えてしまうだけなんてことあまりにも悲しいし、そんなわけがない。

 

 

 

 

でも、亡くなった彼については何も想像できない。この世界が彼にとってもっと良いものだったなら良かったのに。あるのは死んだという事実だけで、ぽっかりしている。