ちっちゃいこの悪意

なんにも自分は悪くないのに、悪意をもらうこともある。そういうのに気付いたのは社会人になってからだけど、よくよく考えたら幼稚園の頃も、そういう意地悪を受けたことがあった。

 

 

 

東京の幼稚園から田舎の幼稚園に転入してからのことだった。

なんとなく私はうまくやっていたと思う。かわいい子に話しかけて仲良くなったり、みんなを集めて遊んだり、東京よりもルールが緩くて、というよりもルールがまったくなくて、なんにも考えてない子たちが多いなかで、自然と私はそこまで手がかからない幼稚園生になっていた。テレビの中の人たちが身近だった私にとって(だって、将来はみんなテレビに関係しながら生きていくんだと思ってたくらい。父親と母親もテレビ局勤務で、テレビを観てると『あ、ホラ、〇〇ちゃんのお母さん出てるよ〜』なんてママから声をかけられるのは日常茶飯事だったから。)田舎の幼稚園の子たちは芸能界のことはなんにも知らない子たちだった。例えば当時流行っていたKinKi Kidsについて、どっちが好き?と聞いて、その子がどっちのことも知らなくてびっくりしたりしていた。

 

 

 

そんな私は誰かを馬鹿にするとか、そういうことは身についていなかったはずだけど、もしかしたらそういう雰囲気があったのかもしれない。いま思うと。びっくりしていただけなんだけど、びっくりしている雰囲気が周りの子には伝わっていたのかも。そうなってくると、また前述した話とはちょっと違ってくるんだけど、そうやって私に起因する原因に思いを巡らせるのであれば、うん、私はその子の顔が好きではなくって、なんとなく、幼稚園生らしくない恐ろしくてかわいくない顔だと思っていた。失礼過ぎる。

幼稚園生って言葉がないぶん、雰囲気で感じ取る能力に長けていると仮定するのであれば、私がさきちゃんのことなんとなく嫌いだなって雰囲気を、さきちゃんも感じていたのかもしれない。

 

 

 

 


みんなで一斉に、先生の声かけとともに椅子を片付けよう!となったときに、ドンと後ろから押された。びっくりして振り返ったら、さきちゃんがいた。

 

 

 

みんなでホールに行くために並んでいるときに、背中をつねられた。振り向いたらさきちゃんがいた。

 

 

 

 


ん?????

 

 

 

 


全然意味がわからなかった。そして、私はさきちゃんがこわくなっちゃった。はじめての意地悪。だって私は家族にも東京のお友達にも、たくさんたくさん守られて生きてきたから。誰かに意地悪されるなんて考えたこともなくて、そう、まったく意味がわからなかった。

 

 

 

そういうことがあった直後、おどおどしている私をみて心配してくれた大好きな先生やままにも相談したけど、結局「そんなことされたの?あなたはなにもしてないんだよね?」「うん」「……なんでだろうね」といった形で終わってしまう。それはそうなるよね。だって、理由のない悪意って見つけるの難しいんだもん。なにかされたほうに原因があるのかも、と思っちゃう。理由が発見できるなら、少なくとも大人はちょっと楽だし。でもね、そういうわけじゃないことだって多い。思考回路は意地悪された「理由」に向きがちだけど、された側じゃなくて、する側に問題があることは意外にも多い。

 

 

 

 


さきちゃんから何か言われたことはなかったし、なんならほとんど一緒にいたこともなかったけど、たった2回の、偶然のような意地悪で私はさきちゃんがこわいなと思った。そう、もしかしたらさきちゃんは誰にでもそういうことをする系女子だったかもしれないのだ。でも、私はそんなこと知らないし、まぁ知っていたとしてもこわいことには変わりなく、私に攻撃する意地悪なさきちゃん、と思ってしまった。それで、幼稚園のパーティでドレスを着たとき、さきちゃんから何か言われたら嫌だなぁと思ったらこわくなっちゃって、ままにしつこく訴えてわざわざ一回家に帰って、ドレスを着替えてしまった。キラキラのスパンコールがついていてすっごくかわいいドレスだったんだけど、かわいすぎて目立って何か言われたら嫌だなと思ってしまった。自意識過剰だし、さきちゃんから言葉で意地悪言われたことなんてないのにね。でも、あの2つは、愛されてすくすく育ってきた私にそれくらいの衝撃をあたえたんだ。

 

 

 

 


あの頃の私に戻れたら、パーティのときはキラキラのスパンコールのドレスも着るし、友達のお母さんたちから褒められたらニコニコ手を振るし(当時はムッと顔をしかめてしまっていた、早く脱ぎたかったから)さきちゃんには「どうしてつねるの、どうして押したの」って聞く。もしかしたら、やりかえしても良いかもしれない。

 

 

 

そう。今だったらもう対応できるんだけどな。