すっごく楽しいけれど、時間が足りない

 

諦めることを知ってしまってから、人生の満足度があがってしまった。

 

自分の人生の大切さを考えられるよーになった。それまでは卒業しちゃった生徒やその保護者のことまで考えて、わたしはこの仕事を辞めてはならないなんて考えていたけれど、そういう責任感に縛られていたけれど、そんなことないみたいだ。辞めてしまったら保護者も生徒もあらあらまあまあ寂しいなとは思ってくれるだろうけれど、それで終わり。絶対3年間は辞められないなんて責任感も、別に保護者や生徒には伝わっていなかったみたいだし(辞めちゃったらどうしよう、と毎年ドキドキしていたらしい。それは私に担任を持ち上がって持ってほしいという思いの表れだけれど、私としてはショックだった。やめるわけないじゃないか、と。でも、あそこまて自分を縛らなくても良かったのかもしれない。)。

 

学校という職場に対して、どうして時間や場所を拘束されてしまうのか、どうしてあんなおじさんと働かなきゃいけないのか(この間の土曜日に語るおじさんを見て、また嫌になっちゃったけど)。そういうの考えにくくなった。

 

大学院生という立場、そして働いているということ、両方が相まって楽しいけれど、時間が足りていないことは感じる。本を読む時間、文書を推敲する時間、家事をする時間、仕事に向き合う時間、遊ぶ時間、映画を観る時間、自分のメンテナンスに使う時間、そういうものを少しずつ少しずつ削って(つまり、諦めて)毎日をどうにか生きてる。そんな感じだと思う。知らないうちに諦めて、それが当たり前になって、平気なことになってるね。

 

博士課程まで行くとしたら、そのためにどうやってお金を稼ぐかを考えなきゃなーー。