なにかを好きだと思えること

 

私はいままで、なにかを恐れて、他人を恐れて、自分のことを発信するのにすごく時間をかけたり発信せずにいたりしたから、自分がなにを好きかも分からなくなっていた時期があった。

 

 

その時期って、なんとなく人と会えば会うほど自分の価値はあがると思っていた時期と重なっていて、最初は楽しくて会いたくて幸せで予定を組んでいたのにいつのまにか義務のように予定を入れて、予定が詰まっているのが私、というアイデンティティを作り込んでしまっていた。そうなってくると、自分が好きなこと、したいことがあっても、予定のせいで出来なくなって、自覚なしに忙しいからしたいことがわからなくなって、慢性的な睡眠不足やら栄養不足やらで、よく分からない状態になっていたと思う。やれやれ。

 

 

あの頃のマイナス面を活かして今がある、と思えばそれはそれで良いのだけれども。もちろん、ポジティブな思い出のほうが多いし、その頃の予定帳やメモやSNSを見ると、私は本当に幸せそうで人気者で、なんだかかわいすぎるところもあるけれど純粋過ぎてもいるけれど輝いてもいて、良かったな、とは思う。

 

 

回想してしまった。そんな私はやっと生活も落ち着いて好きなことを発信できるよーになったよ、という話を書きたかった。研究が好き、という気持ちを大学時代に話したことがなかったことに気付いた。なんでか、友人たちに否定されたり質問されたりするのがこわくて、まだ自信がなくて、言えなかったのだ。いまは好きだということに自信があるから、頑張れているんだと思う。そして、発信できるんだと思う。

 

 

先日、あるミーティングに参加して、いまの自分の職場への満足度を点数化したところ、なんと100点と出てしまった。

なぜなら、大学院に通わせてもらって、仕事も前より慣れてきて、平日の居場所が2つあることでひとつのことに悩み過ぎることがなくなって、すごく良い感じ、ずっとこれを続けていきたい!という気持ちだからだ。そりゃ楽しいことばかりではなく、難しいことや責任がのしかかることもあるけれど、それ以上に幸せな気持ちが強い。本当に、これを一生続けたい。お金を稼ぎながら、研究を続ける。。いまの職場と大学院だからこそ出来ている。今後、博士課程に進むとしたら、どうすれば良いのかな。この気持ちがとりあえず夏まで続いたら、相談してみようと思う。(もちろん、100点は諦めと妥協もあるとは思う。教育って時間と場所はどうしても拘束されてしまうから、それが嫌だったけれど、いまは別にそれもやりがいにフォローされるようになった。なってしまったのか、それとも、やっとそれくらいのやりがいを感じられるようになったのか……)

 

 

話は脱線するけれど、自信に関連する話だから書き記しておく。私は正直、いままで、すごく結婚に焦っていたけれど、いまはそうでもなくなった。焦っていたときには焦っていることに気付かなかったけれど、自信がなくて焦っていたんだと思う、私って先の見通しがつかないことが本当に苦手だったから。でも、やっと、そういうものもあるって、本当の意味で理解できた。先のことなんて分からないんだから、ぼんやりとした感じでも良いんだ。ぼんやりと、幸せを考えていこう。会いたいって思える人と時間をすごそう。

 

 

結婚したい気持ちはあるけれど、焦る必要はない。そういう穏やかな気持ちになれたのは、本当に、ここ最近大学院も仕事も充実していて、それで結婚しなくても良いなあと思っていたところに、母から、えーでも結婚って良いよ、と声をかけられて、全然、すぐにする必要はないけれどきっと楽しいからいつかは幸せな結婚をしてほしいという言葉をもらって、そうだね、とストンとその言葉を受け取ったから。いろいろあるけれど、家族の力って偉大だな。