25歳の頃に書いていた、メモより

 

私はおばあちゃんくらいになったら小説を書こうと決めていた。

 

それは今は無理でも大きくなったら小説を書けるだろう、となんとなく甘く考えていたし、小学校から中学校、中学校から高校、と自分が成長するにつれて考え方が変わったり感じ方が変わったりすることに気付いて、それだったら全部全部考え、感じ終えた段階でそれを活かした小説を書こうと思ったのだ。

 

しかし、だんだんとその変化はそれ以前に考え方や感じ方を忘れさせるということにまで気付くと、寧ろそれでは今のうちに記しておかなければ、と思うようになった。

 

それを一気に書くことを先延ばし、先延ばしにするたびに書けることは増えたり減ったりしながら、しかし私のまわりに常に漂っていて、ふと創作意欲を刺激するのだが、一度パソコンやi phoneなんかでそれを書き始めると思ったより自分が乗れなかったり、あるいは書ききれなくなったり、うまく表現できなかったり……するのだった。そんなとき、私は思う。こういうのを乗り越えて、しかもうまい文章を書ける人だけが小説家になれるのだと。いつか私も乗り越えて、しかもその文章が何か偉い人なんかの目にとまって、小説になって、売れる。せっかちだったりのんびりしたりしながら、私は書くことを溜めていく。

 

 

「みんなのことが分からないのです」と、幼稚園の頃の私は言っていたらしい。小学校、そしてそれ以降の生徒時代の私はその話を聞くたびに「なにそれ」と思っていたが、25歳(なんと25歳になってしまった)の私は、なかなかどうして、言い得て妙ではないか、と思う。その言葉は的確に私の不安を表していた。みんなのことが分からない、これは私の不安の9割を占めていた。いまだって、分からないことが不安だったりする。新しい出会いは好きなくせに、分からないことに対しては不安を抱く。

 

 

小学校や中学校は地元の、いろんな人間がいる世界で育った。正しくないことがたくさんあって、でもその正しくなさの中で泳がなければならなかった。生意気にも「社会」を知った気になっていたが、強ち間違いでは無かった。中1のときも中2のときも、意地悪な子が強い世界で人を傷付けるのをこわがる私は弱かった。苦手なおっぱいタッチやスカートめくり、ブラ外しは頻繁に対象になったし、頻度が一番高いのは私だった。……ああ、でもそんなもんじゃない。もっともっと、今記した文章よりも辛くて胸の中も頭の中もグジグジして、相手に対して消えてしまえと願うような、プライドをズタズタにされるような、屈辱とも呼ぶべき経験もあったはずなのに、それは今の私にとってはどうでも良いものになってしまったせいで書き記せない。中3になって私のコツコツした努力(全ての私が仲良くしたい人に愛を……というような気持ち)は身を結び、殺人未遂が起こるような荒れ果てた中学校で確固たる地位を確立するのだけれど、それでもあの頃、中2のストレスで爆発のように顔面にできた大きなニキビたちは治らなかった。これはずっと私のコンプレックスになって、まっしろな肌の上に赤く痛々しくぶつぶつと出来ては出来、出来ては出来た。……

 

 

でもねえ、しかし、中3になった私はすっごく幸せで、毎日毎日楽しくてしょうがなかったよ。みんなから愛されてて、私が執権を握っているっていうのが気持ち良くて。意地悪な子たちが私の傘下に入るのがおもしろくて。気持ち良くて楽しくて世界一幸せだった。全能感にあふれていた。でもどうしてかニキビはそのあとももう癖みたいに出続けて、結局10年くらい私を苦しめた。どうしてだろう?私のもろさ、気の強さ、心の繊細さ、自分のために相手を気遣い続ける大変さ?とにかくストレスと言ってしまえば、思春期と言ってしまえばそれで終わりだけれど、ニキビは私のシグナルのように出続けていた。