いつのまにか、表彰する側になっていた

今週のお題「表彰状」

 

私は先生だから、表彰する側になってしまった。私が児童、生徒、学生だった頃は表彰に飢えていた。ままを喜ばせたくて、ままは私が表彰されないと肩身が狭いそうで。ままは習字でもなんでも取り組んだことに対して色々と表彰されて生きてきた人だから、私がなんだか不器用に生きているのがもどかしかったのかもしれない。私はバレエもピアノも水泳もアトリエも英語も色々とお金を使ってもらっていたけれど、すっごい注目されることはなかったし、小学校時代表彰されたの、硬筆と作曲と絵、それぞれ1回ずつだったような気がする。感想文は……されたようなされなかったような……。そういうものに飢えていたから、当時の気持ちも覚えてる。なかなか自分が認められない悔しさとか、悲しさとか。小学校1年生のとき、何か役目を決めるとき、みんなやりたくて手をあげて、私も仲の良い子も手を挙げて、でもその子はみんなの前で先生から「あっ、あなたには実は先生から頼みたいことがあるから、(今回は手を下げて)あとでお願いして良い?」と言われていて。その子は本当に優等生で、なにもかも選ばれて、班長もリレーの選手も学級委員長とかも。本当に、嫉妬した。でも仲良しだったけど。でも、いいな〜って……本当に本当に強く嫉妬してたな……。ずるいって思ってたけど、昔の私は先生からあんまり好かれるようなタイプじゃなくて。だから表彰も少なかった。(でも好かれることと言ったら、私を大事にしてくれた先生は中学の先生くらいだと思う。高校の先生はもう人間対人間って感じで、まあまあそんなに悪くはなかったけど、そんな感じで、でも中学の先生はちゃんと私を認めて愛してくれたと思う。)

 

ちょっと話はずれるんだけども。

 

小学校のときは、表彰とはまた違うけれども、私はみんなに人気がある役割には絶対選んでもらえなかった。じゃんけんだったらどうにか勝てたこともあったけど、投票ってなると選ばれない。あの頃は小学校ってひとつの国みたいなもので、社会で、生活で、全てだったから、委員会とかクラスの役割とか班決めとかそういうのが全部すごく重たくて意味があるものだった。私たちにとって。それなのに私はいつでも選ばれないから、卑屈になる……かと思いきやただただ、「なんでー??」って思ってた。ちっちゃくて幼くて良く分かんなかった。「なんでー?この子より私が落ちるのー?」って。私は私の世界で大事に大事にすくすく育ってたから。世界は私のものだったから。選ばれないってこと、全然理解できなくて卑屈になることもなかった。

 

学校の色々にびっくりしたし、実は話を聞かなきゃいけないって中学に入ってから知ったし、それどころかかわいくない子やかっこよくない子を見てびっくりしたり(本当に失礼)、してた。小学校、、本当に周りを見ていない子だったけど、それでも徐々に周りを見始めてた。でも、小1から中2までなんで落選してたのかは……いまでも、ちょっと本質的なところは掴みきれてないかもしれない。恥ずかしながら。でも選ばれるよーにはなってきたから……

 

やっと選ばれるようになったのは、私が本当の意味でスクールカースト上位層になった中学校3年生のとき。歴史を振り返る。

 

中学校1年生で一旦デビューして、いじられながらもそこそこの位置を保ってた。ぶりっこって陰口言われることもあったから、辛いときもあったけど、でも今思うと本当にぶりっこしてることあったからな〜とも思う。

 

中学校2年生で奈落の底に落ちて。ギャル・ギャル男かオタクしかいなくて、内心みんなを馬鹿にしてたらいつのまにか誰も友達がいなくなってた。なんとなくはみんなと一緒にいるんだけど、修学旅行の班決めとかになるとあぶれるんだ……。辛かったけど、いつか良くなると思い続けて学校に行ってた。だって毎日行かないと、行かなかったらもっと辛くなるって思って。でもニキビはたくさんできた。中1で仲良くなった子たち、たまに廊下ですれ違うとびっくりされるくらいニキビできた。(中学はクラスが1つの社会だから、クラス同士で競うから、もうあんまり元のクラスでつるむ、とか無かった。)

 

そして、中学校3年生でそんなところから這い上がった。クラス替えってすごい、良くも悪くも1から人生を始められるから。人気者になれたのは、私がみんなを大切にしようって思ったのと、みんなの気持ち分かろうとするようになったのと、楽しく人生を送ろうって気持ちと力を持てるようになったからだと思う。この頃の私は世界で一番幸せだと思ってた。ここの自分と今の私はそこまで大きくは変わらない。ここが私の原点。

 

今更だけど、表彰から話がずれてしまったね。

 

なかなか勉強もなにもかもなかなか芽が出なかったんだけれど、ままはいつか私が頭良くなる(報われる)って思っていたらしい。愛だね。ままの望んだとおり、周りに比べていろいろが出来るようになって、足も早くなって、人間レベル(というものがあるとするならば。コミュニケーションとか人気とか、そういうもの?)もあがったのは、中学校3年生ごろ、周りよりも出来るな〜と思えるようになったのは高校生くらいからだから、遅かった。周りはあんまりそういうものにこだわらなくなってくる時期で、それでも私は表彰や数字や選ばれることっていうのには相変わらず飢えていたから、そういうものにこだわっていたから、表彰されたり数字で抜きん出たりすると嬉しかった。偏差値なんて本当に顕著に出てくれるから嬉しかった。みんなからチヤホヤされるのも。愛されるのも。

 

 

前置きといえるのか、そういうものが長くなつてしまった。先生としての表彰に戻るね。

 

 

まあそんな私だからこそ表彰の大切さは分かっているのだけれど、表彰する側になってしまうと、正直、面倒だなって思うときもある。……本当わがままだと思うんだけど、先生になって初めての体育祭で、当たり前だけど生徒が主役で、私が主役じゃない感じ、すごくそれが寂しかった。表彰だってされないから、もう仕事上、生徒の人生の脇役みたいになっちゃうんだな〜と思ったらつまんなくて。

 

 

まあそういうの引いても、何か競っているものにこちらで点数をつけて優勝者を決めて、それで表彰するのって結構負担だ。まず、採点だとか優劣をつけるのとか、まあ成績をつけるのとか、そういうのってすごい体力を使う。心も消費する。わざとつけにくく、生徒が意地悪してるんじゃないの?って思うこともある。評価することにすっごい集中するから、くったくたになる。目が疲れる、頭が疲れる、腕が疲れるし、なんていうかいつもは職員室で鼻をいじりたくないとか顔をかきたくないとか、そういう恥じらいがあるのにそういうの無くなっちゃうくらい集中しないと、できない。だから、本当、表彰って大変。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、その大切さも喜びも知っているから。私は今年も表彰を頑張ろうと思います。