そうだった、そうやって友人に私は助けられていた

 

なかなか会うことはなくなってきたし、これならも会う頻度は減って、会う友達も減って、そうやって生きていくのだと思うのだけれど、寂しさは無い。きっと今、食事をするのでは物足りなくなってきているのが、旅行になっていくのだと思う。なにかする。スポーツだったり旅行だったり。私は学生の頃は、食事をするだけで、飲み会に行くだけで充分だったけれど、最近はみんなでスポーツや旅行をしたくなってきている。そんなことみんなずっと思っていて、私はやっとそんなみんなに追いついてきたのかもしれない。

 

 

さて、そんな感じでだんだんと疎遠になってきた友達、一時期は同じときを、楽しくおもしろく時には大変な感じで過ごしてきた仲間たちには、脳内で助けてもらうことがある。

 

 

例えば、大学を卒業して、四月から働き始めるとき。3月31日。私は不安があって、不安が大きくて、新しい世界に1人で挑戦するのがこわくて泣きそうに布団の中で起きていた。眠れなかった。そこでふと思ったのは、そうだ、あの子もあの人も違う場所だけど働き始めるんだということだ。あの子だってあの人だって、みんな頑張るんだ。このことで勇気付けられて、みんな頑張ろうねと思って、私はやっと眠りにつくことが出来たのだ。

 

そうやって、私は今まで出会った人たちと一緒に生きている。会えていなくても、会いたくなったらいつでも会えることを知っているから寂しくない。ふと思い出して、会いたいと思ったら連絡すれば良い。でもそういう人が少なくなっているし、思い出に励ましてもらったり友達の頑張りに励まされたり、SNS上で満足したり、そうやって過ごしてる。これって全然寂しいことじゃない、寧ろ今までの自分も今の自分も誇りに思える。全部に意味があって、全部が今の私を作っていて、自分の糧になっている感じ、すごく良い。

 

ただ、たまにふと、寂しくなるのは家族を恋しく思う時。私は母親に会いたい。また家族四人で暮らしたいな……。最後に。私や弟が結婚する前に、もう一度、四人で暮らしたいなぁ。喧嘩もするだろうけどさ。