将来……教育

 

ただ、私の将来に対する漠然とした不安である。そして、将来いつか死ぬということに安心したり悲しくなったりする。いつか死ぬなら、いま、やりたいことをやろうという気にもなる。別に大事じゃない人のことなんて割とどうでも良くなる。

 

ずっと研究していたい。この気持ちを実現させたい。自分にそういう気持ちがあるからだと思うけれど、研究職につけば?と言ってもらえたことを未だに覚えている。前職のKさんと、仕事を辞めてしまったGさんと、今すごくお世話になっているIさんと。

 

大学時代、私がこんなに考えて研究したって世の中はなにも変わらないんだなあと思ったら悲しくて、私って何やってるんだろうと思った。特別支援の世界って、世間って、どうやったら良くなるんだろう、私が1人であがいてもどうしようもないじゃないか……と。

 

でも、そんなことを考えながらもしっくりくる考えを導き出すのは本当に幸せだった。

 

世の中を相手にするのではなくて、目の前の生徒のために行動しよう、目の前の生徒に自信をつけさせて、世間体に負けないような人間を日本に増やそう。差別なんてしない、個性を理解できる人間を世の中に増やしていこう。そう思って教員になった。

 

でも、教員を続けていってまた研究をしたいと思ったら絶対に大学院へ行こうと思っていた。それでいま、やっと大学院に行けることになった。四月から通って、3年間で卒業する。

 

理解できないものはこわい。相手のことを想像できないと、傷つけることにも鈍感になる。

 

優しい(この表現でしっくりくるわけではないけれど、とりあえずこの表現で。)気持ちを増やすには、どうしたら良いのだろう。

説明するのか?一緒に過ごすのか?

 

研究としての教育学と、現場の教育って違うものだろうなと思う。研究をそのまま現場に活かすっていうのは、ちょっと傲慢だよなとも感じる。じゃあどうして研究するの?どうして教育学があるの?と言われたら……無駄なものではなくて。現場も研究も両方大切なもので、教育という大きなジャンルで、日本、世界、世の中、そういう大きなものを良くしようとしてる、そういった意味でお互い影響を与えあってるんじゃないかな。

 

私はずっと、教育のなかで生きると思う。でも、教育に貢献する方法はたくさんある。だからこそ、これから頑張るのだ。