休日のために生きる

 

ある先輩教師は言う。

「俺は、休日のことだけを楽しみに生きる」

へえ、と思った。そしてしばらくして、私もそうなるのかなと思った。あるいは、すでにそうなっているのかもと。休日が楽しみになってきたのは、私にとっての成長だと思う。休日を休日として過ごせるようになったこと。

 

実は仕事はそこまで嫌ではない。むしろ休日に予定がずかずか溜まっていく感じが負担だったことがあって、そのせいで休日におどおどしていたことがあるのだ。なんであんなに予定を詰めていたのか?と疑問に思う。

 

人気がある、忙しい女の子というイメージがついていくのが嬉しかったこともあって、どんどん予定を入れていたあの頃は家族よりも友達優先で、そういうのがかっこいいと思っていた。

 

いまでは自分を優先できるのが一番かっこいいと思う。自分主体で決めるのが、一番良いと思う。そうなりたいと思って、徐々にそうなりつつある。自分で予定を決めることができている。でも、たまに予定帳をみながら「はぁー」と思う。予定が詰まり過ぎ、と思ってしまうことがある。なかなか難しい。でも頑張りたい。

 

不思議なもので、人間はなりたいと思う自分になれるらしい。不特定多数の人にモテたいと思えばモテるし(そういう風に振る舞うから)、友達からどんどん誘われるよーな人になりたいと思えばそうなるし(結果、老舗旅館のような予定の詰め込みになって辛くなることを学んだ)、自分で予定を決めて自分のために自分の日々を過ごせるようになりたいと思えば、少しずつそうなってゆく。

 

彼氏がほしいかと言われれば、いままでは「そりゃほしいよ」なんて答えていたけれどそれがどうしてかっていうと、自分の見栄のためなんだよね。「早くあなたも彼氏を作りなよ」なんて言ってくる女友達に対して、嫌な思いを持ってしまうから。でもよく考えてみると、好きじゃない人と付き合って楽しいのか?と思うのだ。好きな人ができたら、そりゃ彼氏になってほしいと願うけれど。そうじゃないのに、私はなんてとんちんかんなことを思っているんだと思う。

 

あ。いま思ったのだけれど、私が思いっきり恋愛をして相手に(女友達に)嫌な言葉をかけてたこともあったんだろーな。私は常に恋愛をしてるような感じだったから、特に。嫌な女になってたこともあったんだろーな。反省、そしてもうそういうのは辞めよう。これからは。

 

さて、好きな人がいない以上、彼氏がほしいっていうのは馬鹿げている。そして結構、他に優先したいことがあることにも気付く。

 

勉強(大学院と英語)と家族。

 

最近、家族に会えるのが楽しみになっている。

そしてそろそろ勉強したいなと思う。ひとりで。

 

吉祥寺に図書館があるみたいなので、仕事帰りに寄れるようになりたい。

そこで大学院と英語の勉強をしよう。

 

たまに会いたくなる人には、そのときに連絡しようと思う。意外と会えるときは会えるし、会えないときは何ヶ月先も会えない。そういうことに私は気付き始めている。たまに思いだす、そういうときは会いたくなるときと思いだすだけで良いやってときがある。