そんなの当たり前、と思っていても意外と分かっていないこと

 

自分がされたら嫌なことは、相手にもしちゃだめ。

 

そんなの当たり前と思っていたのに、きちんと守りながら大人になったと思っていたのに、分かっていなかったなぁと思う。特に恋愛においては。

 

9月、デートしてて楽しいと思える相手に出会えた。でもなんとなく会話はぎこちなくなってしまって、どきどきするけど会うのが楽しみだけど、だけど、という感じ。そういうのも含めて楽しかった。

 

でももうおしまい。今までだったら冷静さを欠いた行動をしてしまったかもしれないけれど、今の私はちょっとした冷静さも持って恋をしているから。ちょっとは大人になったっていうことだろう。当たり前を当たり前にできるようになったってことでしょう。

 

(そういえば、この言葉、中学時代の不良が反省文で使っていた。思いついた本人は笑いながら書いていて、いや違う、反省文を読んだ別の不良が笑ったんだったかな。とにかく書いた本人も別の不良も笑ってた。その言葉のかっこよさや礼儀正しさを誤魔化そうとして。あるいは、その言葉に及ばない自分たちに気付かないようにして。)

 

自分がされたら嫌なことは相手にもしちゃだめ、っていうのを今までの自分は分かっていなくって、相手に甘えてずるずるとラインをしてみたり連絡をしてみたり、自分の感情だけで甘えてみたり、あるいはキープしてみたり、そういうのやっていた。いま考えると、ん?と思ってしまうようなこと。嫌な女。相手の気持ちを考えない女。

 

でも、分かったから。もうあの人にラインをしません。だって悲しいから。ラインが来たのに気付きながら、知らないふりをして既読もつけられない、そういうのが悲しい。もうすでに迷惑なんだろうけど、許して。さよならの余韻が残ってしまった、今度こういうことがあったら、もっと美しくしたい。私もあなたと同じ気持ち、大丈夫よ、さよなら、まあまたの機会があればまたねって美しく去ろう。

 

恋愛は相手にもよるものだから、難しい。そう思っていたけれど、違うな。次に好きな人ができたときに絶対に振り向いてもらえるくらいの美しさを持てるように、いまから努力すれば良い。その魅力をもっともっと高くしよう、自信にしよう。そして、好きな人ができたら恋愛をしよう。周りがあせらせるから(そもそもあせらせるような友達って不要かもしれないね)、寂しいから、では無くて。そうじゃなくて、シンプルに、好きな人ができたら恋愛をしよう。それまでに恋愛できるような魅了的な人になろう。

 

自分が主人公になれないから難しいと思ってた、でも違う。恋愛だって、目標や夢と同じで、私が主役で考えられるんだ。楽しもう。これからもきっと、たまには不安になってしまうけれど。この気持ちを持って、がんばろうね。

 

9月の人から得たこと、

趣味のことは堂々と言おう。今までは読書や映画のことを言うのは避けていたけれど(盛り上がることがないから)、盛り上がることだってあるし、何より別に盛り上がらなくても事実を話して良いんだ。就活じゃないし。計算し過ぎずに。

 

ありがとうございました。9月の君。