私は作詞家になりたい

 

いつ頃に思ったのかは覚えていないけれど、「作詞家」のことを思ったことはある。なぜこんなことを今書いているのかというと、それは「作詞家になりたい」と思ったことを思いだした、わけではなく。

 

「私が作詞家にならなくても、大丈夫そうだな」と生意気なことを思った記憶があるのを思いだしたのだ。

 

書いていたら思いだした。高校生の頃。いろいろ思い悩みがちな小さな世界の中、BUMP OF CHICKENの音楽が流行り、その歌詞を聞きながら「こうやって助けてくれる音楽をつくれる人たちがいれば大丈夫。この人たちにそっちのほうは任せよう」と思ったのだ。

 

生意気なやつ。

 

自分にいろいろな才能があって、勝手に自分のことを特別な存在だと思っていて(もちろん人はひとりひとり特別なのだけれど、そうじゃなくて、何があっても自分一人は助かるだろうというような、根拠のない特別感)、でもそうやって自分が思っていることにすら気付いていない時期。傲慢な時期。でもその傲慢さで必死に一日一日を生き抜いてる。無理矢理にでも貫く。そのしんどさには気付かず、いろんな人に磨かれて、自分から磨きにいって、輝いている。そんな感じの愛すべき時期。