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ごちゃごちゃ、頭の中。落ちこぼれ。


私が今いる高校には、いわゆる落ちこぼれが集まるらしい。落ちこぼれってなんだ?

生徒たちを落ちこぼれだと思ったことはないけれど、子どもっぽいなぁとか下品だなぁとか思ったことはある。分かってくれないなぁとか意地悪だなぁとか、なんだコイツ!とか嫌なヤツ!もうやだー!とか、苦しく思ったこともある。正直。

でも、あなたたち落ちこぼれだもんね、教えるのやーめた!って諦めたことはない。工夫が伝わらずに悔しい思いをしたこともある、進学校のほうが楽なんだろうなと思ったこともある、けど。

そもそも落ちこぼれってなんだ?なにから落ちたのか?
世界?高い地位?学歴か?落ちこぼれって言葉に違和感。失礼しちゃう。





実は、そんな私は学歴が大事だと思って生きてきた。中学生の時、ふと、世間の上に登るには、顔差値か偏差値が必要だと思ってから。

顔に自信がある子は、中学校でギャルになってた。私はギャルにはなれず、選択できず、だけど、勉強を頑張った。いま勉強をしないと将来困ると思って(人の価値って学歴じゃ分からないよ、と言うには自分に学歴が必要だと思ってた。小学生時代から)。ギャルはここが人生のピークになってしまうんだろうな、と思っていた。

さて、高校生になって。お馬鹿にみえるけど頭良い!というギャップがかっこいい☆部活も頑張ってるけど頭良い!というのがかっこいい☆という価値観になって。

目指して、実際そうなった。……週7で体育系の部活やって部長もやったし、もともと喋り方がぶりっこっぽくて馬鹿にみられやすかったので、あとは頭が良くなるだけで良かった。
負けず嫌いだったし、中学で勉強の習慣がついていたからか、ぐんぐん偏差値はのびて、特に得意な国語・数学・英語は70とかあった。そんな感じだった。

大学も、言ったら「すごいね〜頭良いんだね」って言われるところに入って、就活でも優遇されて、学歴におごってた時期もあった。大学で人をみてたこともあった。

しかし。それは間違ってるって大学4年目にして気付いた。就活で。

学歴で評価しようとする人も確かにいます。世間体とかそういうのも、あります。世間ってどうしてもそういうのに偏りがちだったりします。

でも、そういうのよりも、自分自身の魅力が大事なのだ。どう他者に魅せるかが大事。だから、学力だけじゃないのだ。と思う。学力を否定するのは間違ってるけど、学力が全て!というのもやっぱり間違ってる。小学校の頃に思ったことは正しかった。

こういう世間体を変えたいって思ったこともあったけど、そうじゃなくて、それぞれが自分自身に誇りをもてるような生き方を選択できれば良いんだって気付いた。得意なことをみつけたり、より良く生きるように努力できたりするような。そういう方向に持っていける教育が必要なんだ。世間体は変えられないけれど、人間は教育で成長できる。より良く進化、変化できる。

私は、世間体や大学名に負けないような、自信を持った人間を育てたい。落ちこぼれだなんて、自分で言わないような人間を世の中に送りだすよ。それぞれに、輝ける場所がある。学力がなくたって輝ける。自分に自信があれば。

私はあなたたちのことを諦めたことないのに、どうして自分から諦めるの?って言うと、生徒ははっとした顔をする。

大学進学しないにしても、就職するにしても、なんにしても、役立つような授業をしたい。学び方とか物事の調べ方とか、知ってほしい。新しいことを知るのっておもしろい!と思ってほしい。知りたいことが生まれてほしい。嫌いだと思ってたものを好きになれることだってあるよって、英語をその例にしたい。可能性を学ばせたい。できるようになることを経験させたい。生徒を惹きこみたい。

生徒に自信を持たせたい。