痴漢とはなにか

 

最近、「痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学」という本を読んでいる。

読んでいると言っても、まだほんと、序章くらいしか読んでいない。読むのが辛い。イライラしたり悲しくなったり、感情が安定しないままに読む感じで。

 

生徒たちから、ふとした話の流れで「先生は痴漢にあったことがありますか」と二回ほど聞かれたことがある。いずれも三年生、ある程度関係ができている子たちから。男女3〜4名で男子の割合が多い状態で。

 

こういうのって、「ない」ことを前提に聞かれていたり、相手(この場合は私)を茶化す目的だったりするので、解答が難しいなと感じた。こういう質問をしない配慮ができるような人間になってほしいなぁと思いながら解答した。この思いがちゃんと伝わったかどうか分からないけれど、とにかく私は解答している。

 

最初に聞かれたときは、なんと答えれば良いのか分からず、黙ってしまった。すると男子生徒は困ったように「黙らないでくださいよ、え、あるんですか」と言った。「ある、あるけど、みんなが無いなら良かった。こういうの、今の雰囲気で分かったと思うけど、デリケートな質問だから今後控えるようにね」と伝えた。

 

2回目のときは、「そういう質問は相手を傷つけることもある」と、まず返した。話を聞きたがる無邪気な男子生徒、性的な関心で内容を聞きたがっていることは分かっていたので、「じゃあ今後そういう質問を他の人にしないために、体験を話すよ」と話した。思い出すことすら辛い、嫌な経験であることを伝え、重いトーンで経験を語ると、その生徒はニヤニヤしていた顔をこちらに向けなくなり、俯いて聞いていた。そして、話終わると取り繕うように「へえー、それは嫌だな」とこちらを向いた。「気を付けてね」と他の女子生徒に声をかけ、「大変でしたね」「警察には言ったんですか」と私に返した。

 

こういうやりとりが教育的に正しかったのかどうか。彼らはもう忘れているかもしれないけれど、私は覚えている。どういう返しが正解だったのか分からないなと思う。

 

私は電車内で痴漢にあったことがある。思い出せるのは2回だけれど、その2回も、気付くのに時間がかかったので、気付かないようなものもあるんだろうなと思ったことを覚えている。

1回目は、スカートをはいたおしりの上からずっと、おそらく、性器を押し付けられていた。混み合った山手線の中で、なにが当たっているのかという違和感はあったが、特に気にしていなかった。しばらくして、どんなに場所や角度を移動してもその違和感がついてくることに気付いて、ひっついてくるそれに気付き、痴漢だ、と思った。

2回目は、職場に向かう電車の中で。手の甲をずっと私の股間に置いてくる男性がいた。うつらうつらしていたので気付かなかったが、大きく揺れると押し付けてくる、その違和感。人を挟んでもずっとついてくる手の甲に気付き、あ、痴漢されてると思った。思ってもうまく巻けず、その人は電車を降りていった。

どちらも気付いてから、強烈な不快感、怒り、イライラに襲われて、しばらくモヤモヤすることになった。こういうの、どうやれば捕まえられるんだろうか。

 

身近な人からの「痴漢」だってある。痴漢と言えるような行動をされたことがある。正直、これを痴漢としたら、私はものすごい数の被害に遭っていることになるので認めたくない。でも、認めないと先に進めない。次からはこういうことをされたら逃げる。そう思っている。痴漢というには違和感がある。セクハラか。あれは。

 

例えば、上司が私の膝の上にまたがるとか、エレベーター内で2人っきりになると絶対よりかかられるとか、机の上に押し倒されるとか、そういうのってセクハラじゃないですか?冗談だとしても。ある程度関係ができていて、私が笑っていたとしても、これはセクハラになりませんか。次から、そういうことをされたら、私は逃げます。ヘラヘラしちゃうのは私の悪い癖だけれど、これからはそれを痴漢だと、セクハラだと認識して逃げようと思います。

 

生徒たちがセクハラ、痴漢の被害に遭いませんように。そして、当然のことながら、それをする側にも、被害にあった人を責めるような人にも、なりませんように。もう先生じゃない私は、ただ祈ります。

 

 

弟と暮らしてる

 

アパートを借りて、二人暮らししてる。

友人に写真を見せると驚かれるくらいの素敵なアパートだ。ヨーロッパをイメージされたアパートで、そこらへん一帯の地主さんが、ヨーロッパを旅行したときのイメージを持ち帰って作った素晴らしい「村」だ。お家賃はそこそこ、二人で割ったらまあまあ安いと感じられるようなところだ。アパートっぽい音漏れはあるし、コンビニや駅が遠いけれど、景色も外観も治安も良いので気に入っている。

 

弟と一緒に住み始めて、なんの苦労も不満もないというのは驚きだった。弟なのだから当たり前だろう、と言われたらそうかもしれないけれど、私は家族である父親や母親としばらく一緒にいると喧嘩してしまうので、弟と一緒に暮らして喧嘩になってしまったらどうしよう、と心配していた。

 

だけれども、そんなことなく、ここまで来れた。もうすぐ引っ越しで、3月から私たちはまた離れ離れで暮らす。私は実家に戻り、弟は寮に暮らす予定だ。寮の抽選に落ちたら弟も実家に戻るらしいけれど、そうならないような予感である。4人で暮らせたら良いなと思うけども。

 

どうしてうまくいったんだろうか、私たちの暮らしは。家族だからという理由以外で考えてみることにする。だって家族だとしても、私と父、私と母、だったら無理だったと思うので。こういう暮らしは。

 

まず、二人とも働いていないことは大きいと思う。学生は、遊んでるわけじゃないけど、基本的には自分のこと、研究にしても自分の関心のあることをやるのでストレスは社会人よりもだいぶ小さいはずだ。社会人ってやつは、社会を作る仕事をする関係で、「私」より「社会」を優先しなければならないことがあり、それがストレスになることがあると思う。私の場合、ストレスがあると、相手は悪くないのに自分の虫の居所が悪くて不満をぶつけてしまうことがある。そして、そういうことって割とあるらしい。

 

次に、干渉し合わないことである。仕事を辞めた直後、最初のほうは、私の職業病がなかなか改善されずに「大丈夫?」「起きなよ」などと弟にストレスを与える言動をしてしまっていたが、それが徐々に減っていった。ご飯も自然とほとんど別々になったし、わたしも弟もマイペースに家事をし、たまにゴミ出しやら目覚まし(「朝、起きたら声かけてくれ。」とか)を依頼し合う程度である。それが居心地の良さに繋がっている。それぞれに苦でない家事があり、私の場合は洗濯や料理、弟の場合は皿洗いやお風呂掃除で、ほとんどそれはお互いに任せている。

 

さらに、上記に関わることだが、お礼を言うことである。弟はこれがかなりちゃんとしていて、言われると嬉しいし、やってあげて良かったなという気分になる。私も割とちゃんと言うほうなので、良好な関係性に一役買っていると思う。

 

最後に、無理をしないことである。これも先述した内容と被るが、例えば洗濯。私もなかなか出来ない期間、弟は洗濯を基本的にやらないので、洗濯物がかなり溜まることになる。私の旅行帰り、たくさんの洗濯物に洗面所が埋まっていたときは、疲れもあってイライラしたが(「こうなること見越して洗濯くらいやっといてよ」という気持ちで)、自分の洗濯物を優先して洗濯することにして、無理せずやってみたら、全然イライラすることでなかったことに気付いた。弟が気まぐれに洗濯物を回して、そのあと干すのを忘れて生乾きの服が洗濯機の中に入れっぱなし……ということがあっても、そういうときはそれらをいったん取り出して自分が洗いたい服を先に洗う。そのあと、余力があったら弟のものを洗ってあげる。そういうことにしたら、すごく気持ちが楽だった。こうしなきゃ!という気持ちが無くなったので、楽で、無理をしないことは良いことだ。

 

これから実家に帰っても、こうやって、弟と過ごしたような日々を家族で過ごせたら良いなと思う。私が仕事を始めるし、一緒に暮らす相手は父と母になるし、なにより東京じゃないことに不安はあるけれども。マイペースに頑張ります。

 

 

 

 

貧困状態だと物を捨てられないのだ

 

もうすぐ引越しだ。モノを捨てなければ。そう思いつつはや数ヶ月。これが結構難しい。欲しいなとか足りないなとか、そういうことになったときにすぐ買える状態じゃないので、「でも…必要になるかも」みたいな感じで躊躇してしまうのだ。今まで使ってなかっただろ?でも捨てらんない。

 

必要になったら買えば良いじゃん、って思うでしょ?それがなかなかね。なかなか買えない状態なんだもん。お金ないから。

 

現に、欲しいと思ったメイク用品や服や新しい下着なんかは贅沢品として結局かなり我慢している。だから古くなった下着はまだ着ているし、洋服もトキメキなんてないものも何も考えずに着てる。パッケージが汚れたようなメイク用品で代わり映えのないメイクしてる。

 

ちょっとだけと思って先月美容院で2年ぶりくらいにパーマかけてそれをカードで支払ったら、カード引き落としの日に引き落とせなくなっちゃったみたいで、カード止まってた。まあこれ以外にも諸々が重なってカード、引き落とせない額になったんだろーけど、わたしパーマ以外になんか贅沢したっけ?

 

なんもしてない。むしろずっと、我慢してるのに。

 

もしかしてコンビニのお菓子?あるいはサイゼリヤで飲んだこと?もしくは友達にあわせた、高いところでのご飯?

 

チリ積もってやつ?

 

でも、カバンも服も2年くらい買ってないんだよ。就活のときのスーツだって、学部生のときのを着てたんだよわたし。擦り切れるまで着てる。しかも、まだしばらく着るつもり。

 

こんな感じなのに、大学院のお金は全額払ってる。110万くらい、自腹。免除申請が全く通らなかったものですから。ああ、このぶんのお金があればどんだけ楽だったかと思う。思ってしまう。考えてもしょうがないことだけど。どんだけ大学院生貧乏なの?わたしより貧乏な人がたくさん通ってるって?

 

ああ、強くなりたい。ここで言う強くなるっていうのは、お金を稼ぐってことです。

 

実は本当に今日はお金がないことで嫌な思いしたので(知人からお金関連で嫌なこと言われた)、「日払い バイト」で検索したら、ナイトワークってかわいい言葉に紛れて、チャットレディやら風俗やらキャバやら諸々出てきた。ほら。わたしはそういう世界を研究してるから知ってるよ。こうやって簡単に搾取される道が現れるんだ。そうやって搾取される道に行くと、どんどんお金に見合わないようなものを要求されてくんでしょ?ごまかされながら、ゆっくりじわじわ不幸に浸食されてく。知ってる。

 

でも正直、チャットレディの仕事は説明をじっくり読んでしまった。だって、お金ないんだもん。ねえ、誰にもバレないんだって。日払いで、給料を手渡しできるって。アダルトでもノンアダルトでも良いって。顔見せなくても良いんだって。わたしに都合の良い言葉ばっかり書いてある。かわいい顔文字付きで。明るい雰囲気、マイナンバーカードも不要だって。そしたら本当にバレなさそう。

 

ねえ、もしかして、テキトーに何時間か働いて、直接何回か日払いでお金もらって、そのあとは身分証明書を返してもらって、サクッと縁を切れば全然大丈夫そうじゃない?

 

ほんと?ほんとに?やろうかな?だって……こんな簡単にお金が手に入るんだもん。

 

結局やらないことにしたけど、わたしに親も兄弟もいなかったらやってたと思う。

 

わたしは運が良いってことを改めて自覚する。学歴社会の中で生まれて、勉強が得意で、親がいて、親は自分たちや兄弟を養うくらいのお金を稼いでいて、兄弟もしっかりしてて、そう思うとかなり恵まれてる。

 

でも、でも、お金がないの。

 

お金に関する不安が常にあるの。

 

話が逸れてしまったけど、今日書きたかったことは捨てられないってこと。これはお金がないせいだ、そういう話なんですけど。

まあ思い切って捨てるしかないですよね、やります。

公務員に合格していた

 

ふいに電話がきて、合格を知らされた。その電話がかかってきたのは11時くらいのことで、もう普通の人なら起きている時間だったけれどもわたしはまだ眠ってた。

 

 

寝ぼけなまこで電話をとって、「合格です」やらなんやら細かいことは覚えてないけどそう言われたので「はい」とこたえた。

全部の質問に「はい」とこたえて、しばらくして電話が切れた。書類がいつ届くのか聞けば良かった。それだけ思って、嬉しくて家族にもラインして、そのままぱったりまた寝た。

 

 

もう一度目覚めたときに、夢だったらどうしようと思って着信履歴を見たらちゃんと電話番号が残っていた。ウワー良かったー、もう正直心を切り替えようとしていたところだった。

 

 

春ごろに合格していた大学職員の内定式も終えていたところだったのだ。それで、自己紹介したり先輩と飲み会したり上司に気に入ってもらったり、していた。

 

 

公務員になるために、そこを辞退した。すごくあたたかかった人事の人に辞退の電話をするのは嫌だったけど家に弟がいるときに思い切って電話をしたら、そうですかではフリーフォーマットで良いので内定辞退書も出してください、とかたい声で言われた。事前に提出してた諸々の書類について聞いたら、こちらで処分しておきます、とだけ返されて電話が終わった。送り返してほしい書類があったのだけれども、まあ仕方がない。諦めることにした。

 

 

そのまま内定辞退書を書いて、その日のうちに提出した。ずっと頭の中にあったことがひとつスッキリしたので良かった。

 

 

それでそのあとは修士論文のことばっかりだった。修士論文は直前に書き直したいところ、加筆したいところ、削除したいところがたくさんたくさん出てきたので20時間くらいぶっ通しで書いていたりした。そのときは、パッと気付くと何時間も経過していて、いつのまにかトイレに行きたくなっていたり喉がかわいていたりするので目の前に飲み物のペットボトルをおいたりアラームをかけたり対策をした。そうやって急かされるようにガツガツ書いた。

 

 

……話が逸れた。まあ、そんなこんなで、修士論文のことがあったのでこのブログで合格のことを書くのが遅れた。そういう繋がりにしておこう。

 

 

某庁に落っこちたときの私のブログが苦しそうでビックリした。最終試験まで受けて、最終合格発表までもが結構長かったもんだから「コスパ悪すぎ」とかそういう嫌味を思っていた。某庁。私はしかも2名しか取らない枠を受けていた。倍率を考えたら落ちても仕方がない?でもさあ大学職員だって400人中の10名とかそんな感じだよ?それでも受かったのに。倍率は関係ない、ただただ悔しい。

 

 

でもわたしは努力していたとは言えない。3月まで仕事を頑張っていて、そこから1ヶ月間で最終試験までいけるくらい準備しましたよ、偉いでしょ。それはまぁ努力はしていたとは言えるかもしれないけど、公務員試験にむけて努力したとは言えないな。しばらくしてからそうやって納得した。だってもっと時間をかけて準備した人だっているし、専門的な勉強をしていた人だっているだろう。でも悔しかった。落ちたら意味ない!なんて考えだった。生意気な私。自分がすごいと思い込んでた?なんだろう。筆記受かると良いな、それくらいだったのに筆記が受かったらモットモットと欲も自信も膨れ上がってしまった。強気の受験だった。親から聞いた話だと、この庁を受けてるとき私はとても痩せたらしい。

 

 

まあ某庁は落ちちゃったけど、今冷静に振り返ると、あのときの筆記試験前に2週間くらいガッツリ勉強したのが今回の合格に生きてると思う。弟に教えてもらったり電車の移動中にニュースを確認したり、問題集買ったり。今思えば脳の良いトレーニングになった。某役所の試験は秋で、修士論文やら発表やら立て込んでいて勉強できなかった。だから春、あのときの貯金で筆記試験は合格したのだと思う。

 

 

大学職員合格して、某庁に落ちて、結構落ち込んでもう受けるのやめようかなとまで思っていた某役所だけど、合格できた。運も味方してくれたような気がする。二勝一敗だけど、順番が良かった、気持ちとしてもありがたい。ほんと終わり良ければ全て良しだね。

小さな哲学者たち

 

わたしも生徒たちに影響を受けていた。

教室で投げかけてくる問いに、ひとことで答えることは難しかった。時間をもらって次の日に回答したり、頭の中で生徒との問答を繰り返したりしていた。

 

回答すると、生徒たちは感心したような顔をすることもあったし、きょとんとすることもあった。おもしろいと言ってもっと聞きたがることもあれば、難しいと言ってシャットアウトしようとすることもあった。

 

会話がすごく大事だったし、会話によって私たちの関係は作られたと思う。一番無理をして、一番頑張ったのは生徒たちを叱ることだけれど、それが必要だったのか……いや、必要だったけれど、結局一番は会話だったなと思う。

 

 

あなたたちに出会えて良かった。成人式

 

忘備録として書く。

 

 

袴姿をみてぽろぽろ泣いた。綺麗なものを見ると涙が出るんだなと思いました。

 

 

成人式に招かれて、お祝いした。

保護者の方たちからあったかい言葉、会いたいって言ってくれるので嬉しかった。学校に戻ってほしいだとか。一生懸命な、良い先生だったからって言ってもらえて伝わってたことがたくさんあったのかなと思って嬉しかった。

生徒たちが飲み会で集まって、いつもわたしの真似をするって、そんなんも嬉しかった。馬鹿にするにしても愛を感ずる、そういう関係になれて良かったよ。

 

 

あなたたちともう会えないかもしれない。

 

 

でも、そうか、3年間は一緒に過ごしてきたんだねと思う。3年間夢みたいだ、信じられない。もう二度と会えないかもしれないのに、3年間はほとんど毎日一緒にいたなんて。毎日一緒にいられた時間を愛おしく思える日がくるなんて。驚きだ。

 

 

だってあんなに苦しんだのに。喧嘩したり泣いたり大変だったけど、でも、3年間の最後のほうは大好きだった。

 

 

成人式で挨拶に来てくれてありがとう。辞めてごめんね。ちょっと後ろめたい気持ちがある、いつでも学校で迎えてあげたかった。

 

 

でも、みんな大人になって立派になって、これからはもう会えないかもしれないけど、一緒にいた3年間のこと忘れないよ。あなたたちにも私が何か良い影響を与えられていますように。

 

 

かけがえのないあなたたち、元気でいてくれ。幸せになってくれ。ずっと願っているよ。

最近分かったこと

 

 

【生理中はなるべく人に会わないほーが良い。】

情緒やら体調やらの不安定さはだいぶマシになったけども。というか、良くなってから気付いたんだけど生理中とか前後あんなに大変だったときって薬に頼っても良かったのではないだろうか。

今はその頃に比べたらだいぶ神経も太くなり、キャパも広がり、心身も安定しているようで何よりだなあと思うわけですが。でも、それでも生理中はひきこもって好きなもの食べたり寝たり、焦らずに過ごすのが良いってことに変わりはない。まあ今は学生だから「休む」をちゃんと実行できるけど、仕事始めたらこうはいかないよな。仕事を休める生理休暇が次の職場にあったら利用しようと思うけど、なんだかねー。毎月休むのは休みにくいという懸念。そうなると、わたしの性格上、今回休まないで頑張れたら次の月が休みやすくなるから今は頑張っちゃお!みたいな発想になるので結局休まないよーな気がするんだよな。今日も生理で、もうドロドロに眠くてバイト休もうかなって思ったけど、「いや…ここで頑張れば次回だるくなったとき休める…」と思って結局行ったもんね。結局この思考のせいで12月も皆勤した。

 

 

【教員を辞めた理由】

なんでー?って言われると研究に専念したくてっていうのが一番なのでそれを言うわけだけど、他にも理由はあるような気がしてた。でもそれを言語化できずにいた。ちょっと言語化してみる。自分自身にフォーカスして。

 

・やりきった!って感じになった。これだけやれた自分に自信がついて、そうなれたからいったんおしまい。私どこにいっても頑張ろうとは思えるだろうな、という気持ちになれた。実際、5年しか勤めてないけど体力と精神力と時間をかなり費やしたから。

 

・生徒を叱ってる自分が好きじゃない。職場はかなり厳しく叱る方針で、それが出来ない先生もいたんだけど、私は頑張ってたら出来るようになっちゃった。まあ出来ちゃうんだけど、そういう風にやってる自分が嫌だったし身内にも友達にも、誰にも見せたくないなと思っていた。

 

・生徒のことは大好き。でも教員としての学校経験でがっかりすることも辛いことも大変なこともすっごく多かった。事故も乱闘も事件も、いっぱいあったので。意外と少年院って入れないんだなって思った。あとは生徒の考えが低レベルでつまんないなーって思うこともあった。そういうときはテキトーに会話したり。酷いよね。作文読んでがっかりしたり、わたしが話したことなんにも伝わってないなーって思ったり。これはわたしのほうでの工夫が必要なんだけどね。でもでもでもその一方で、ちゃんと伝わったり面白いと思ってもらえたり、生徒に良い影響与えられたって実感できるような出来事があるとすごく嬉しかった。相談とかその他諸々には時間さくようにしてた。大変な仕事よ。でももしまた教員やるってなったらもっとうまくやれそう。謙虚な姿勢は持ちつつも。まあそれが経験を積むってことだよね。

 

・教えることの責任がものすごく重くて、常に生徒最優先、それと自分自身を大切にするってことは両立できるはずなんだけど、わたしは生徒!生徒!生徒!!ってなっちゃうので。こういうわたしみたいな先生って良い先生って言われがちなんだけど、実際は教員向いてないんじゃないかなとまで思う。わたしはちゃんと自分のことを考えるにはもう少し仕事と自分が距離を取りやすい仕事が良かった。仕事を生きがいにしちゃってたけど、それじゃない生き方しても良いんじゃないかなってね。