落ちていた(公務員試験)

 

2人の枠に入れず。落ちてしまった。

ここで改めて,私が何をしたいのか考えざるを得なくなってしまった。受かっていたら考えなくて済んだのにな。

 

地元の公務員試験を受けていたので,地元に本当に帰りたいのか?という疑問,考えないようにしていた疑問も頭をもたげてくる。

どうなんだろう。

 

ちゃんと生活したい。

研究したい。教育に関わっていたい。

生活するというのは,ちゃんと料理をしたり運動したりする時間があるということだ。研究を考える時間があるということ。

 

そういう思いが一番強い。地元に帰ろうと思ったのは,お金が貯まりやすいと思ったからだ。親が払ってる奨学金を引き受けなければ,親を少しでも安心させたい,そういう思いが無ければ別に地元に帰ろうとは思わなかった。

 

地元に戻ることには不安が無いと言えば嘘になる。だって,親との距離が近くなるし,親との関係性が悪くなるかもしれない。もともと仲は良いけれど,折り合いは悪いと思う。

 

内定している場所には職員寮があるので,お金は貯まりやすいだろう。職員寮に入れれば。

 

公務員以外,もう1つ受けてみるか。気になっている会社は地元のものではないけれど,1つ受けてみるか。

 

 

ストレスがぐぐぐと胸をつく,詰まる

 

12時間後には結果が出る。先日受けた試験の結果だ。

 

なんとなくそわそわして,たまらないような気持ちで今日1日を過ごした。気が緩むとなにかの感情が表に出てきそうで,ゲームしたり音楽をきいたりして抑えた。感情の名前は分からない。一瞬,さっきまた気を緩めたら,ゴーッと泣きそうになった。泣いたら楽になるんだろうか。でも,かっこ悪いから泣かない。泣き方が分からないから。

 

そして,食欲がない。例えば仕事をしていま頃みたいに,食欲でストレスを解消するような感じで,なにか過食したほうが眠れるんじゃないかとも思ったけど,今日はなにか食べたら吐きそうだった。水を一杯のんで,それでやめておいた。それでも油断したら出てきちゃいそうだった。

 

スマホゲームに夢中になったり,お気に入りの漫画を読んでみたり,YouTubeみたりしてみたけれど,気持ちに変化はなくて,ただただ重たいストレスを感じる。久しぶりのストレスだと思う。眠れば一番早く時間が過ぎるのは分かってる。結果を知りたいけれど,不安もあるし,知りたくない気持ちもある。落ちていたらどうしよう。という気持ち。

 

落ちていたら,私の自尊心が傷つく,だって自信があって見栄っ張りな私のことだから。周りになんて言おうか考えてしまう。受かったことにして,でも辞退することにしたというのはどうだろう。そして,母からのお言葉がこわい。多分,落ちたとしたら,母は最初は優しいけれど,なにかあったときには大爆発して,あんたなんか落ちて当然だよと私をなじると思う。それがこわい。恐ろしい。

 

研究活動については,今日はインタビューをして,書き起こしまで終わらせたけど,達成感はない。ああ,シンポジウムに向けて準備が出来ていないことが気になるけれど,今日のストレスはそれじゃない。

 

ただ,ただ,結果を待つことがこんなにこわいとは。入試の結果を待つことなんてたくさんあったはず,でも,こんなにストレスがかかったことあっただろうか。どうだっただろう。強気だった私が見当たらない。あんなに自信があった私がいない。誰かと話したい。こういうときに誰かに吐き出したい,誰かと頼りたい。でも,これを一人でちゃんと乗り越えるんだ。だってもう27歳だもん。もう大人になって7年目だもん。頑張れ,頑張れ。

 

 

 

 

果報を寝て待つ。

エレベーターがこわい時期

今週のお題「わたしと乗り物」

 

エレベーターがこわいというか,エレベーターに乗るとき息を止めるクセがあった。

 

社会人1年目あたりからそうなってて,そういえば私はエレベーター乗るとき異様に緊張するな,と思って気付いたのは社会人3〜4年目の頃。それまでも人が密集するところは苦手だったり寄られると気になるのでその延長線,というか過剰になっちゃったかなとさほど気にせずに思っていた。

 

 

(ちなみに社会人4〜5年目から,いつのまにか上記のこと全部消えていることに気付いて,そしたらめっちゃ生きやすくてびっくりした。飲み会とか人が寄ってくるのとか割と平気,というか緊張しなくなってて,これいままでが異常だったんだなと思った。これ,慣れとかじゃないと思う。だって今までも飲み会とか人との出会いとか遊びとかめっちゃ好きで,よく参加してた,でもへんな緊張感があってしんどさもどこかで感じてて。その変なしんどさが全くなくなった。なんだったんだろう。まぁ今よりもっと気にしぃだったからそういうのが発生してたのかなー?精神科とか行ってたらなんか薬もらえてたのかも。知らないけど。)

 

 

 

で,で,エレベーターが苦手になったのは,これ,絶対職場の同僚と先輩のせいだと思う。前の職場にはビルの7階に喫煙所があって,あたし以外はみんな喫煙者だった。会議とかあると会議参加したみんなで喫煙所に行く。そういうときは,あたしも連れてってもらってた。タバコ吸お,って誘われて(あたしは吸わない)エレベーターに一緒にのること多かった。特に,上司Aとか同僚Bから誘われること多かった。それで,この2人,いつもエレベーター乗ると,3人でも2人でも他に人がいても,めちゃくちゃくっついてくる。くっついてくるというかひっついてくるというか,体重をあたしに預けてくる,隅に追いやってくる。それやられるとあたしは困って笑っちゃうんだけど,そのせいでエスカレートしたんだなって今なら分かるけど,でも笑うしかなくて,でも嫌だなと思ってた。このジョークがあたしはすっごく苦手だった。そもそもボディタッチが苦手なのだ。

 

 

まあ,そういうことのせいで,いつのまにかエレベーターで息しなくなってたけど,それも治ったので今はエレベーターが好き。歩く歩道も,エスカレーターも好き。バスと飛行機と新幹線も。電動自転車も。

 

 

 

 

エレベーターでもなんでも,こわくさせないでほしい。

お金がなくても心のゆとりは持ちたい

 

大学院の入学金も授業料もばっちり払っている私だけれども(だって収入があったからね),でも今回の,最後の授業料はどうしても免除されたい。というか,免除されなかったとしても払えないので困る。

 

 

 

 

免除のための書類を書いていて,本当にギリギリのお金で生活してることに改めて気付く🤦‍♀️私,頑張ってるなぁとも思う。褒められて然るべきでしょ。馬鹿にされる筋合いないでしょ,と思う。

 

 

 

 

そう。お金がないな,でも頑張ったな,でも,ああ授業料や入学料が免除されていれば……と思っていたら,急に,違うところの怒りが再熱した。なんであんなに馬鹿にされなきゃいけないんだ,と。私は稼いで,勉強もしているんだぞ,と。あの友人からの言葉が刺さって抜けないかのように錯覚したけれど,そうじゃなくて,これはお金がないと改めて自覚したせいで,動揺して,そのための二次的感情を彼にぶつけているだけだと思う。恥ずかしい言葉で表現するならば,八つ当たりってやつだ。心のゆとりまで無くしたら,虎になってしまう。気をつけよう。心の中の虎を飼いならす。

 

 

 

 

今年度は親と祖父母に相当援助してもらってるし,働き始めたら親と祖父母孝行しよう。ちゃんと働いて,また研究したいと思ったら研究しよう。でもそのときは,いまの大学院は選ばないと思う。学部のときの大学か,東大に行く。正直,いまの大学院を選んでガッカリした感があるのは否めない。違和感もある。でも素敵だなと思う部分も勿論ある。最高の研究ができた,と胸を張れる場所に変えたい。それには私が頑張るしかないのだ。引っ張り上げてくれる人はいないよ。

 

 

 

この頃になって気付くとは,

 

ふとしたときに,過去の疑念が解消されるというか,その当時は相手の言葉に納得できなくて,そんなことあるのか?どういうことだ?と疑っていたことについて,ああ,確かにそうだったのかもしれないと信じられるようになる,こういうことかもしれないと深いところまで考えられるようになる,理解できるようになる,ということがここ最近立て続けに起こった。それぞれ全然違う場面,ことだけれど。

 

 

ハッ,これか,本当だ。本当だったんだ。と思ったのだ。勝手に疑って,勝手なタイミングで腑に落ちている。

 

 

1つ目は,大学のときに非常に好きだった先輩が,卒業制作のために時間が惜しくて惜しくて,なんにもほかのことは出来ない,どうしてもデートの時間が捻出出来ないと言ったこと。

 

私はその先輩の言っていることは分かったし,どれだけその作品にかけているかってことも側で見ていたつもりだったけど。私自身がそこまで何かに焦ったり時間をかけたいと思ったりしたことが無かった,なんでもどうにかやってきた,よく言えば要領よく,悪く言えば諦めよく,やってきてしまっていたせいで,体感としては理解出来ていなかった。

 

でも,今日,あと半年しかない大学院生活でどうやって生活しようか考えたとき,やっぱり研究を最優先にしたいと思ったのだ。そしたら,デートのお誘いとか後輩やら先輩やらそのほか友人からのお誘いとか,知り合いからの頼みごととか,遠くなって,全部どうでも良くなってしまった。そういうことに時間を割いている場合じゃないな,と思ったのだ。そして,ああ,先輩もこういう気持ちだったんだね,それは尊敬に値することだし,拗ねた自分にはかわいそうだけれど,先輩の側から考えたらしょうがないことだったなと思った。そういう消化をした。もう消化したつもりになっていたけれど,今度こそ本当に消化した。

 

 

 

 

2つ目,海外に行っちゃった親友と電話をしたとき,親友が「結婚を考えられない相手を好きになって,傷つくのは辛い」と言って,ハッと思い出した彼がいた。

 

 

私が東京の大学院に進学すると事後報告したとき,彼の中の温度が下がったのがわかった。電話なのに,くっきりとわかった。距離を置かれたような。私もそうなることを恐れてた。だから,言わないでおこうかなとも思っていたけど,彼との楽しくていくらでも続く電話の中で,自分のことを,どうしても話してしまった。あなたも喜んでください,という気持ちで。

 

 

 

そのとき,彼の中で私と付き合う選択肢,恋人としてみるスイッチが切られたのだと思う。彼にとって私は大事な存在なのだ,というところから話を切り出された。でも,だからこそ,付き合うことはできない,と。

 

 

彼は私をふるときのセリフとして「だって,俺のところ(彼の住む地方)には来てくれないでしょ?無理でしょ。来れないでしょ。」と私を責めるように言った。

 

 

 

「ずっと友達でいるか,結婚するかだよ。」

 

 

 

付き合う選択肢を残してくれなかった。

 

 

 

そのときの私は,彼の言葉の意味がわからない,と悲しんだ。本当はちょっと分かった。そういうこじらせ方を私もしていたことがある,と思った。でも,それでも私はあなたと付き合っていたいのに。苦しかった。結婚は,付き合ったその先に一緒に考えるものなんじゃないの?一緒にいてこんなに楽しいけど,友達として一緒にいるのは楽しいかどうか分からない。だって,いま,この会話をしていて苦しいから。

 

 

 

あのときの彼の言葉の意図を知る。当時の彼と私ではうまく想像できなかった結婚する私たち。

 

 

 

結婚しないであろう私たちは,付き合っても,別れる。

 

 

 

彼としての,もう傷付きたくないという意思表示でもあったのだと思った。いままでどこかしっくりきていなかった友人や上司からの「解説」(消化出来ずに相談した結果,いろいろな解説をもらったのだ)は全てやっぱり少しずつ違っていて,今回の親友の言葉が,彼の代弁だと思った。

 

 

 

結婚してくれ,という意味であると上司は解説した。付き合えないと私から言わせるためのセリフかもしれない,と友人は言った。ああ言えば納得するだろうと謀っての言葉だろう,と私は思っていた。

 

 

 

全部ちょっとずつあってて,ちょっとずつ違った。

 

 

 

 

 

臆病で,自意識をこじらせていて,中学生みたいだった私たち,私たちって似てるねと言いあった,こんなに一緒にいて楽しいね。こじらせ方も似ていた。当時の思考回路も。片割れのようであった彼らしい言葉,隠された思いを,いま,勝手ながら読み取る。2年越しに。

 

「死にたい」と思う朝がなくなった

 

仕事を辞めてから,死にたいと思うことがなくなったことに気付いた。

仕事については,すごく良い経験になったし頑張っていたと思うけれど,言ってしまえば自分ではどうしようもないことにあくせくしたり苦しくなったりすることが辛かった。

生徒たちに対しての責任感,おじさんへの恐怖で潰れそうになりながら,朝,ぐうっと何か嫌な気持ちがせりあがってくることもあった。自転車で職場である学校に向かいながら,大きな交差点で,ここで轢かれたいなと思ったことも何度もある。事故にあいたい,倒れたい。そんな風に思うくらいなら休めば良いのに。でも運良く私は潰れなかった。快活で明るくて仕事をきっちりやって生徒にも好かれて保護者からも信頼があつくて,仕事が大好きな私。おじさんともうまくやる私。必死で,転びそうになりながらそれをやり続けた。

 

 

仕事はやりがいがあって,しかも私はできるほうだった。少なくともそう評価されていた。だからこそ,大学院に通うにしても仕事は続ける。そう決意した。お金の問題もあったけれども。

 

 

でも,それよりも研究したい気持ちが大きくなったから,辞めた。もっと時間をつかって研究に専念したいって気持ちは大事にしたかった。だって,せっかく大学院に入ったんだから。

 

 

人生の風がうまく吹いたような感じで,すごくあたたかい送別会をしてもらった。その前に,ひどい辞め方をした人や,パワハラを訴えて辞めた人がいて,そのひとたちのおかげだと思う。それまでは結構,辞める人に対して酷い対応をする職場だった。

 

 

辞めてからしばらくは,おかしな感じだった。

 

 

 

なんとなく焦って,働きたいような,このままで良いのだろうかとか,いろいろ考えちゃうのだ。でもそれは正常な反応だってことも,心理学やらなんやらの本から知っていた。いままでの環境に,状態に戻ろうとしちゃうのだ。でも,そこを乗り越えたら,新しい普通が待ってる。

 

 

いま,私は待ち望んだ新しい普通の中にいる。死にたいとはもう思わない。

 

 

教員もできるけれど,もうしようとは思わない。

 

 

 

 

涙が出そう

 

あああ,モヤモヤしてる。

歌を聴いてわけもなく切なくなったり,涙が出そうになったり,気持ちが波打ってる。

 

こういうモヤモヤを弾くために,セックスする人もいるだろうな。

 

恋人や友達にわけもなくすがりついたり,それは同性でなくて異性が良い。なんでだろう。

 

男友達や架空の彼氏に,この穴を埋めてほしい。穴ともわからないようなこの,考えなければいけないことはたくさんあるのに何も考えたくないこの気持ちを消してほしい。

 

自分でも消せる。だって自分のことだから,もちろん消せるのだけれど,どうかあなたの力を貸してください。

 

 

 

誰かに寄りかかりたいの。