寂しさ

 

今日はある授業の最後の日で、卒業が寂しいのとうまく伝えられない悔しさ(自分の不甲斐なさ)と物事を分かり合えない寂しさ……それでなんだか泣きそうになって、生徒を困らせた。よくよく考えたら分かり合えないのは当たり前、だってこんなに年が離れてるのに。うまく伝えられないのは私のせい、卒業が寂しいのは私は控えなきゃ、そうじゃないと彼らが寂しくなれないから。

 

私はわがままだ。わかってほしいと思ってしまう。きっと、生徒たちの、わかってほしいという思いを何度も踏みにじったと思うのに。

 

私も表現者になりたい、生徒にちゃんと伝えたい。生徒から受け取りたい、生徒の力になりたい。みんながいなくなってしまうのは本当に寂しいけれど、でも、みんなが新しい世界を楽しみにしていることが、こんなにも嬉しいよ。頑張れ。

 

授業のあとも、気にかけて会いに来てもらっちゃってごめんね。あと少しだけ、一緒に過ごそうね。

みたくない現実を受け止めて行動できる人たち

 

大学のとき、大学卒業のとき、

みんな旅行に行ってた。

 

私は旅行への価値を見出せなくて、散々いろんなグループからいろんな場所に誘われたけれど、なんだか行く気になれなくて、半ば逃げるようにニュージーランドに留学した。なんでだろう?一番の理由は、たくさんの人と、たくさんのグループで、飲み会だとか家にお泊りだとかそういうことするので手いっぱいだった。それだけでもう疲れちゃってた。旅行までの気持ちの余裕が無かった。……それに加えて、もうこれがみんなで旅行できるの最後だなんて、みんな言っていたけれど、その意味が全然分からなかった。

 

旅行ができなくなるなんてこと、ある?

 

いつだって、できると思ってた。したくなったらいつだってできるでしょ?いくら忙しくたって、仕事があったって、結婚したって、大丈夫でしょ?わたし達。みたくない現実、未来なんて見なかったし想像もしなかった。

 

でも、そんなこと、あった。旅行はどんどん難しくなっていく。結婚、仕事、疎遠になったり。余裕がなかったり子供ができたり、それぞれの人生が改めて始まって、それは大学の頃、高校の頃とはまた違う自由としがらみと責任感の人生だ。

 

やっぱり私は、みんながちゃんと想像できることを想像できてなかった。みんなで集まることがこんなに難しく、珍しく、尊いものになるとは。

 

あの飲み会も、お泊りも、夜通し遊んでたことも、そういうのがずっと続くと思ってたあの日も、いまでは考えられないね。

 

見たくない未来でも。現実でも。しっかり受け止めて、そのときそのときを楽しめるよーにする。その貴重な時間を逃さないようにするよ。

 

 

 

 

 

チャージ

 

ひとりでいる時間で回復するほうの栄養をとって、元気をチャージした。(栄養には二種類あって、ひとりでじわじわ回復するのと、人との楽しい時間でぐんとチャージできる栄養がある。どっちも大事。)

 

昨日、眠る前に何をするか考えていて「そうだ、メガネ買おうかな」と思っていたけれど、今朝目が覚めて「あ、出掛けるのやめよ」と思ったのでずっと家にいた。

 

朝ごはんにクロワッサンとワッフル食べて、映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ながら洗濯と片付けやって、お昼ご飯はノリとご飯。漫画読んで、夜ご飯にグラタン食べて、アメトーーク観て、お風呂入って。運動したくなったからカーヴィダンスした。この時期って毎年太るんだけど、こういう運動、続けて少しでも元に戻そう〜。お腹がむくむく…

 

ジムは大学院の関係もあるし、約1年でやめちゃった。アクアダンスがすごく好きだったので、できなくなるのは寂しいけども、家で運動できるならそれが一番嬉しい。家が好きだし。がんばろっと。

 

ソーシャル・ネットワーク

 

友人から紹介されて、ずっと観たいと思っていた映画をやっと観た。やはりおもしろかった。

 

映画といえば、わたしはノンフィクションやドキュメンタリーが好き。観ていて疲れちゃうような、ダラダラ観続けられるような邦画も好きだ。洋画も。ファンタジーや恋愛ものやアニメ、SF、アクション、歴史物……はほとんど観ない。

 

昔はファンタジーも恋愛ものも観ていた。もっと幼い頃にはアニメも。私の中身や趣向はどんどん変わるけれど、友人や生徒たちを観ていると変わらない子も多くて、へえーと思う。

 

変わらないって強いな。

 

趣向や性格に限らず、変化しないことのほうが難しいと思うのに、この激動する世の中で、自分のことが絶対正しいと思えているおじさんが多いことに驚く。どうして?でも変わらなきゃいけないことに気付いたら自分が辛くなっちゃう(大変だって分かってる)から、わざと見ないふりをしているんだと思う。そうじゃなく、本当に気付いていないんだとしたら……頭悪い。そんなおじさんたち、要らないね。

 

 

 

 

1人は楽しくて寂しい

 

この歳になってくると?それともこの時期のせい?で、なんだか映画にも漫画にも満足しきれず、だらだらと時間を過ごしてしまう。

1人の時間、家で過ごす時間は大好きなのに、なんだか今日は物足りなくて寂しい。

 

 

約58kg, 165cm やっぱり体が重たい

 

ジム通いをやめて、カルビーのチョコレートポテトチップスにハマっていたら(コンビニで大量に購入してしまった)、いつのまにか体重が増えていた。スタバのフードを持ち帰りして(最近、ドリンクよりフードのほうが好きなことに気付いた、飲み物は私はなによりも水が好きだし)食べたり、宅配ピザ注文したり。なかなかドッカリ食べていた。

 

ま、この時期は例年ふとる。58kgは過去MAXの体重だ。でも、つけ麺やらラーメンやらお酒やら夜中に飲み食いしながら「どうしてこんなに太ってしまったんだろう?」だなんて考えていた頃(3年前…)とは違うので、そこまで気にならない。精神的、体力的な健康があれば。2年前は徒歩15分の距離が精神的、体力的につらくてバスに乗るような人だったのに、それを思うとだいぶ健康的だ。いまは自転車か徒歩だもん。

 

とはいえ、体は重たくてお腹は出てきたし、目に見えてまるまるしているので、もう少し引き締めたい。54kgのときが、私的にいちばんセクシーなので4kg落としたい…家事や通勤や通学で。この前、仕事終わりの私をスープストックの店内の鏡で見たら、なんとなく老けてみえた。それは疲れているのもあるし、体型のせいもあると思う。モッサリ。

 

新しい出会いの四月のために、もっともっと可愛く素敵で魅力的(と自分で思えるように)なろう!私は「ありのままの自分を愛して」だなんて思ってないと思っていたけれど、いま思うと甘える部分でいえば「ありのままで良いんだもん」って感じだったかもしれない。26歳の私からは良い方向に変えて、ちょっと良い格好していこうと思う、自分のために。

 

 

お嫁さんに行きたくないから

今週のお題「ひな祭り」

 

小学校1年生だったか2年生だったか、それくらいとき、通っていたアトリエで、雛人形を作ることになった。

 

あき瓶に紙粘土をつけて着物のようにして、割り箸に紙粘土をつけて顔をつくり、その割り箸を紙粘土につける。作り手によって、頭でっかちだったり不恰好だったり、でもかわいいお雛様とお内裏様。

 

そんなお雛様とお内裏様を見ながら、アトリエの先生は私に、

「まだお雛様飾ってる?」

と聞いた。

「うん!」

私は私の家のお雛様が大好きだった、三人官女も。すっごくかわいくて、目鼻立ちが良くて、髪の毛もツヤツヤで、お気に入りだった。おばあちゃんが買ってくれたらしい、その立派なお人形さんたち。

 

「ひな人形は早めに片付けないとだめなのよ」

「どうして?」

「お嫁に行けなくなるからだよ」

「えーっ?」

その頃の私には、お嫁に行けないことが恥ずかしいことだなんて認識、無かった。そんな価値観知らないし、信じられなかった。

 

「じゃあ、うちはながめにかざっとこーっと」

「なぜ?お嫁に行きたくないってこと?」

「うん!」

「まあ、素敵」

私は家族と離れたくなかったから。ずっと一緒にいたいと思って、そう言ったのを覚えてる。

 

一時期、はやく結婚しなければと焦った。周りが良く見えて、焦燥感に耐えられなくて、ばかなことした。全然、だめだった。クリスマスケーキ論(25歳までに結婚しないとイキオクレ)なんて言葉、大っ嫌いと思いながら、そういう目を勝手に自分の中に作って、苦しんでいた。でも今は違う。

 

世間体とか世界とか他人の目とか常識とか、そういう分からないもの、自分を苦しめるものが少なくなってきた。それは成長であり、幼いころの私に戻ることでもあるように感じる。