仕事を辞めたいと思うとき

 

大抵、睡眠不足だったり疲れ気味だったり、そういうときだ。いま、そんな感じ。昨年も2月におじさんのことが心底嫌になって、(いままでのアルハラパワハラがトラウマみたいに何度も蘇ってきて)辞めたいと思っていた。

 

今回は睡眠不足と、大学院のこと「配慮しない」と言われたことと、おじさんに嫌なこと言われたのと、、ストレスかな。生徒が3月に卒業してしまうからその準備に追われるストレス。新しいことはなんだってストレスだ。ワクワク感だってあとからついてきたり、あるいはストレスを感じる前にあったりするけど。

 

2月はそういう月なのかもしれない。

 

でも、またしても転職を考えているわけだけど(だって今後の私にとっての一番は大学院、それに通いながら仕事することだから)。すごく良い会社を見つけてコンタクトをとろうとしてるけど、難しいかもしれなくてヤキモキしている。珍しく、すごく気になる会社。教育にこだわらず、やりたい仕事(そして大学院と両立できる仕事)を見つけようと思う。

 

だって、ねえ、よくよく考えてみたら、わりとうちの学校、辞めてる先生方いらっしゃるし。

 

 

 

 

好きだから……という理由で

 

そういえば、ヤリモクなのでは?という男性に対してイライラしたこともあった(明確にそういう相手の意思が分かったわけでなく、勝手に訝しんでた)。

 

ヤリモクの定義が難しいんだけれども、好きじゃないのにヤリタイ、みたいな。好きじゃないけどするために連絡をする、みたいな。そういう感じ。振り返ってみて、そういう感じだったのかなと邪推して、悲しくなる。そんな時期がありました。(当時はそんなふうに思ってなくて、しかも別にしていないけれど)

 

でもねえ、最近思ったんだけど

なぜ私が異性に連絡するのか?→その人のことが好きだから、気になっているから、話していて楽しいから

なぜ私がその人としたいのか?→ものすごく好きだから

なんだよねえ。

 

もしかしたら男女でこの価値観は違うかもしれないけれど。まあ価値観というものは男女というよりも各個体で、各個人で違うことなので。育ってきた環境だとか、そうやって形成されてきた価値観はそれぞれだから。

 

そう思ったら、私も今までの人生の記憶に残っている男性のみなさんから、すごく愛されていた可能性があるんだな〜恋い焦がられていた可能性があるんだな〜〜と思えて、それはすごく幸せなことだと思うので、もはやそういうことにしておこうと思った。ね。

 

こうやって新しい考え方を得れば、過去は都合良くも変えられる。未来はもちろんだけれど、過去だって変えられないわけじゃないのだ。

 

 

 

 

もはや部外者ではない

 

格差社会とか学歴社会とか、教育学とか教育コミュニケーション学とか、差別とか、そういうものをどうして考えるかって、

 

‪知ってしまったからには、それはもう、考え続けなきゃと思うのだ。特に教育に関することは。知ってしまったら、知らなかった自分には戻れない、もう部外者じゃないのだ‬……と、そういうことだと思う。

 

 

書き留めておこう

 

他人から気取っていると言われたり思われたりするのを恐れて、わたしまで社会の知的レベルの低下に合わせなくて良いのだ。そんな馬鹿げたことを言う人は放っておこう。そんな相手と無理して付き合う必要など無いから。

 

そうだよねえ、はっとした。そうなんだよね。わたしはもうそういうものに合わせて笑ったり、沈黙や空気をこわがってはしゃいだり、そういうのはやめるよ。

 

 

親愛なるしいたけ占い

 

https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake2018-h1/contents/11aquarius/

 

思っていたことや感じていたことが言葉に表されていて、すっごくびっくりした。もはや私にもそういうスピリチュアルな感覚があるのでは?(と図々しくも思うくらい、ピンとくる言葉たち。)

 

いままではこういう占いを楽しみにしていて、すごく綺麗な言葉たちに励まされることが多かったけれど、今回はうんうんと頷きながら読んだ感じ。いままでは、公開されると飛びついて読んでいたけれど今回はなかなか読まず(占いを優先できず)……今日になってしまったのだけれど、それもそれで良い感じ。だって占いに頼るあの感じ、あれはあれで楽しかったけれど、頼り切るのもなんだかね、不安を占いで補う感じだったからさ。

 

自分の足で歩きつつも、占いの言葉がなんとなく自分を支えてくれる感じ、こういうほうが健康的だと思う。

 

ということで。下半期も楽しみにしております。親愛なるしいたけ占い様。

 

 

 

書いていると自分の中の真理に辿り着く

 

私はこの学校にこだわっていたけれども……別に、この学校じゃなくても良いのでは?他の公立でも、この私と学校の理想を持ったまま教えることが出来ればそれで良いのでは?むしろそこには窮屈なおじさんもいなくて、強制してくるおじさんもいなくて、(いま守ってくれるおじさんも先輩もいなくなるわけだけれど、それはまた新しい場所で巡り会えるだろうし)……最高なのでは?人が変わるのも環境が変わるのも少しのストレスはあるけれども、私がもう少し元気になればそれはただのスパイスに変わると思う。なぜなら私は昔から新しいものにわくわくしていたから。クラス替えも、中学や高校への進級も、大学も、すごくワクワクしていた。元気がありあまって愛もありあまって、そういう幸福な状態だったからだと思う。その状態に戻りつつあるいま、いまなら、恐がらずに前に進める気がする。……採用試験を受けてみようか。

 

私は、実は、この思いを持てるくらい、自分が自信を持てたら公立で働こうと思っていた。大学を卒業する頃から、そういう計画を立てていた。そういう思いを持てる日がいつ来るのかってそこまでは想像出来ていなかったけども……、いまその思いが芽生えた。良かった、わたし!なんとか経験を積めているんじゃん!

 

 

いつかここに住みたいと思っていた気がする

 

今日は先述したとおり、うまくいった休日だったのだけれど(こういう休日が送れるようになるまで、3年くらいかかったのだけれど)、そうか私はここで暮らしているのかと震えるような嬉しさを感じた。マンションのエレベーターの中で。

 

まず、大宮からここ、武蔵野市に来て、自然のある感じやバスが充実している感じにすごく幸せを感じて、自転車で通勤できることが嬉しくて。マンションも素敵なマンションで。

吉祥寺はキラキラしていて、どこから見れば良いのか分からなかった。ひたすら歩いて慣れた街にしていった。ちょっとずつ分かるよーになって、緊張しない街になった。

 

人が多いところが難点だけれど、ここでなら暮らしていける。暮らしやすい場所だね。

 

私はどこでも生きていけるんだと思う。たとえば外国でもどうにかやっていけると思うし、もっと田舎でも都会でもどうにかなると思う。でも、もっと田舎あるいは都会に住むなら誰かと一緒が良いし、もう一人暮らしはここで最後でも良いかなと思える。それくらい、ここに住むことに安心している。家が好きだし、帰省もしやすいし。

 

話は変わるけれど、来年度は担任持つか持たないか分からないけれど、持てたらまた新たな出会いがあると思って頑張るし、持たなかったら大学院を優先できるんだなあと思えるし、もうなんでも良いや!前はいろいろ不安に思ってこだわっていたけれど、まあ仕事だし、と思えるよーになった。それもすごく良いね。だって私は私だもん。家族や私や友人や仕事、そういうものの中で生きていくけれど、結局だれになにを言われようが、愛してる自分のためと愛してくれる人のために生きるよ。そう考えたら、ままやぱぱや弟のことを大切に思えるし、なにより自分のことを大事に思えたよ。もう仕事はあんまりプレッシャーじゃない。

 

月曜日が嫌だ、って思っている自覚は無かったけれど、昔は思っていたみたいだね。緊張や不安で眠れなかったのは月曜日がこわかったんだね。いまは大体要領が分かったから、まあどうにかなるかなという感じ。良かった、経験を力に出来ていることが分かると安心する。